小説 川崎サイト

 

川崎ゆきお



 風通しのため、ガラス戸は開いている。網戸は閉まっている。虫が入り込むため閉めているのだ。
 岸本は庭の金魚に餌をやるため、一日一度は網戸を開ける。庭の手入れなどはしない。洗濯物を干すために庭に出ることもあるが、毎日ではない。金魚の餌やりも冬はしない。金魚も寝ているためだ。
 金魚に餌をやるのは夕方が多い。池で魚が釣れるのは夕方が多かったためだろうか。その記憶が岸本にある。それで網戸を開け、庭に出るのだが、そのとき蚊が入るようだ。その蚊はいつもは草の中にでもいるのだろう。庭には雑草が生えている。
「何だろうねえ、あの蚊は」
「蚊がどうかしましたか」
「蚊に刺されるんだよ。部屋の中で」
「じゃ、蚊が入ったのでしょ」
 岸田は網戸を開けたときの様子を語る。
「人を追いかけて来ると?」
「そうなんだ。網戸を開けてね、庭に出てね。ちょいと縁側を見たんだよ。すると、蚊が入る様子はない。蚊が何処にいるのかまでは分からないけど、飛べば分かる。網戸が開いたんだから入れるだろ。しかし姿が見えない。開けた瞬間、もう入ったのかもしれないけどね」
「じゃ、網戸が開くまで蚊はじっと狙っていることになりますねえ。他に用事もあるはずでしょ。じっと待機しているものですか」
「だから開けた瞬間には入らなかったと思う。それにわんさと蚊が庭にいるわけじゃない」
「それで」
「どこまで話したかな」
「振り返って縁側を見ているところまでですよ」
「そうそう、それで金魚に餌をやり、戻るんだが、そのとき付いて来たんじゃないかと思うんだよ」
「蚊に尾行されたわけですね」
「尾行というより、刺そうと近付いたのに、私が動いたので、続きをやりに来たんだと思う」
「やはり尾行ですね」
「ところがそうじゃない」
「ほう」
「私が入る前に、先に蚊が部屋にすーと入っていったんだ。これは先回りだろ」
「蚊は一匹ですか」
「そうだ。先に入られたので、何ともならない」
「はい」
「その一匹のために蚊取り線香はもったいない。素早いので殺虫剤では狙えない」
「一匹だけでしょ」
「そいつが夜もいてね。寝る前、耳元でうるさい」
「結局刺されるわけですね」
「しかし、部屋に入ったら出られないはず。次に開くのは金魚の餌やりのとき。それを蚊がじっと待っているとは思えない」
「やはり刺されますか」
「刺される。赤くなり、痒いが、まあ、すぐに治まる。かかなければ」
「じゃ、それでいいじゃないですか」
「まあ、そうなんだが、痒いのは嫌だし、赤いのがしばらく残るのでね」
「まあ、その程度の被害なら」
「ところが、その蚊、血を吸っても、外に出られないなら、どうなるんだろう。栄養を蓄えても、その蚊は閉じこめられているわけだからね」
「まあ、どこか開いているんでしょ。外に出る隙間が」
「それなら、血をやった甲斐もあるが」
「甲斐ですか」
「誰かが得をしないとね」
「そうですねえ」
「ところが、刺している現場でパチリと潰すことがある。そのとき血が」
「時遅しですね」
「これは誰も得をしない」
「はい」
「私の血も無駄になる」
「ははは、まあ、そうですが」
「非常に理不尽なラストシーンだ」
「蚊に刺された程度、虫にかまれた程度の傷って言いますよね」
「まあ、毒がなければいいんだけど」
「蚊は軽そうなので、命も軽そうに見えるんでしょうねえ」
「軽いし数も多い。これが蛇なら、手応えがありすぎる。あとで呪われるのではないかと。それに後始末も大変だ」
「まあ、無駄な殺生はしない方がいいってことでしょ」
「そうだなあ」
「だから、蚊に刺される程度なら、軽いものなので、大目に見れば」
「そう思うんだけど、刺されると腹が立ちますよ」
「はいはい」
 
   了
 


2013年9月13日

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