小説 川崎サイト

 

まがい道

川崎ゆきお



「ほら、見えましょう、あれが、まがい道ですわ」
 ハイキングで山を下っているとき、高橋は老人から声をかけられた。あと、もう少しで里に出る。そこは温泉の町。里はまだ見えないが、振り返ると歩いて来た山並みが見える。
「まがい道?」
「あれはないのですよ」
「はあ……」
 山の斜面にへばりつくように、細く白い道が続いている。ちょっと見るとハイキングコースによくあるような山道だ。ただ、下へも上へも向かわず、山に沿って続いている。
 高橋はガイドブックを開き、その道を探す。
「ないでしょ」
 確かにない。
「ハイキングコースにあるはずなんですがねえ。歩きやすそうな道です」
「しかし、登りもないし、下りもない」
「だから、山道として載っていないのですね。地元の人が山の手入れに使う道ですか」
「わしは地元じゃが、それならば林道が別にある」
「でも、歩いてみたいです。あんな道を」
「だから、ないのだよ。そんな道は」
「そうなんですか」
「あの道へは辿り着けない」
「はい?」
 その道は真下にある。しかし、近付くと消えるらしい。
「この辺りで山仕事をやっとる連中は邪道と呼んでおる。たまに出るようじゃ。今も出ておりますがな」
「じゃ、あの道は蜃気楼のようなものですか」
「わしも一度はあの道に出て、そこを歩きたいと思うておりますがな。しかし、何処と繋がっておるのかと考えると、怖くなりますなあ」
 老人は、「じゃ」と手を挙げ、茂みの中に入っていった。その先は、あのまがい道だ。
 高橋は老人を目で追いかけたが、やがて見えなくなった。
 しばらくすると、あの道に人が現れた。豆粒のように小さいが、先ほどの老人だ。
 老人はゆったりとした歩調で、登りも下りもない山道を歩いてゆく。
 高橋も、その茂みに入り、滑り落ちるように下まで降りた。
 すると、道に出た。
「辿り着けたじゃないか」
 その、まがい道を歩いてゆくと、里側に湯煙が見えた。宿屋の屋根も見える。そちらへ下りる枝道はいくらでもあった。
 その道はハイキングコースには載っていないが、温泉客の遊歩道だと、後で分かった。
 あの老人は温泉宿の人達が作った遊歩道が気に入らないのかもしれない。
 
   了


2013年9月14日

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