小説 川崎サイト

 

さすらいの旅

川崎ゆきお



 秋の風が吹く頃、木村はさすらいの旅に出る。と言っても近くを歩くだけのことなのだが。
 ただ、普段はそういう歩き方はしない。あまり運動はしないし、散歩にも出ない。それが夏の終わりにだけ出掛けるようだ。年に一度なら、それは旅レベルに近い。だから木村にとっては旅なのだ。
 さすらいの旅とは、暑さから解放され、頭がクールダウンしたとき「さて、これからどうするか」と人生規模のことを考える。その場がさすらいの旅なのだ。
 つまり、木村はさすらっている。自分の部屋もあるし、部屋代の滞納もない。だから、さすらい歩いているわけではない。その将来がふわふわしているので、さすらっているのだ。定着しない。目標、目的がない。お題目がない。
 年始などに、その年の目標を決めたりするのだが、木村は秋先にそれをやる。蟻とキリギリスを思い出すためかもしれない。しかしキリギリスのように遊んでいたわけではない。どちらかというと蟻のようにこつこつと働いていた。そのときは目的はあるのだが、一年で切れるようだ。
 つまり、いくら地道に働いても、何とも未来が開けない、先行きがもう分かってしまう……などで辞めてしまう。
 また、自分で仕事を作り、個人事業主になったこともあるが、そういうのは半年も持たない。そんなときは臨時の旅に出る。
 人に雇われて働く場合、一年は必ず勤める。これは福祉厚生的な恩恵もあるためだ。だから、一年は持たせる。これも最初の一週間ほどで、辞めてもかまわないような職場だと気付くのだが、そこは我慢する。なぜならここで辞めると月々の支払いが滞り、生活費もなくなるからだ。そして夏まで持たせるが、暑い盛りの前に辞める。退職理由は夏バテ。結局それで夏休みをとったことになるのだが、休みが明けても行く会社はない。
 さて、それで年に一度のさすらいの旅に出たのだが、近所を一周するだけのことだ。その間、決めごとをする。つまり、一人御前会議だ。歩きながら。
 この一人御前会議では、将来のことをきっちりと考えている。それで、いつも自営業で決まる。ただ、何を自営するのかまでは考えていない。要するに人に使われるのが嫌なだけなのだ。
 しかし、それも時間切れで、生活費のため、また働きに出る。毎年毎年その繰り返しだ。
 そして毎年毎年、秋風が吹く頃、さすらいの旅に出る。今年も駄目だったが、来年こそは、と思いながら。
 
   了

 


2013年9月15日

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