小説 川崎サイト

 

行けない場所

川崎ゆきお


「さて、何をするか」
 仕事が一段落した立花は時間に余裕が出来た。忙しいときは、これが終わればあれをする、これをすると考えていたのだが、いざ終わってみると、何をしていいのか分からない。ネタはある。デジカメを買いに行くことや、長く会っていない知り合いの住む町へ行く。運動不足なので、軽く山へ行く。
 というようなことを計画していたのだが、いざその時間が出来ると、もうどうでもいいように思えてきた。
 仕事から解放されたのだから、好きなことをやればいいのだが、これは拘束されていたからこそ思うことで、それが解かれると何もしたくなくなった。
 ただ、思っていたことは実行したいし、やめたわけではないのだが、気分がそちらへ向かわない。
 立花は自宅を仕事場にしている。そのため、とりあえず外に出ることにした。部屋に籠もっての仕事でも、それなりに外には出ている。自販機やコンビニ、そして駅前の銀行や郵便局、ファストフード店。しかしそれは最低限必要な用事のための移動だ。
 そうではなく、もっと趣味性の高い動きがしたい。ただ、知り合いと会うにも、いきなりでは無理だ。十代の頃、立花は遠慮なく押し掛けてもかまわない友人がいた。いきなり訪ねるのが普通だった。居ないときもあるが、そのときは別の友人宅を回った。電話すればいいのだが、いきなりがよかったのだ。電話で「今は駄目」と言われるより、ドアが閉まっている方がいい。また、いきなりでも会えば何とかなった。相手にとっては迷惑な話だが。
 そして、うろうろしている最中、映画を観て帰ったりした。計画にないことだ。偶然その前を通っただけのことで……。
 立花はもういい歳なので、友人知人もそれなりの人になっている。だから連絡なしでは会いにくい。さらに用事もないのに会いには行けない。
 デジカメを買いに行くときも、既にネットで調べ、買うデジカメを決めてから行っている。たまに衝動買いで、とんでもないものを買ってしまうが、最近はそれもない。それが何となくつまらないように感じるのだ。若い頃のように無茶な動きをしなくなっている。まあ、いい大人が無茶苦茶なことをしては恥ずかしいのだが。
 ただ、それらのエネルギーというか、その種のことをやってみたい衝動がまだまだあるのだろう。
 すべてが計画的に進んでいる。その方が安定しており、結果的には無駄のない動きとなる。だから、損得で言えば、得なのだ。
 結局立花は外に出るには出たが、駅前に向かう途中、もうどうでもいいような気がして、近所をうろうろしただけで、戻ってきた。
  
   了



2013年9月29日

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