小説 川崎サイト

 

下向きな人

川崎ゆきお


 富田は前向きな人ではなく、下向きな人だ。いつも俯き加減で歩いている。歩く場合はその方が楽だ。体重をやや前に傾けた方が足を出しやすい。下向きがちでも実際は前を見ている。そうでないと歩きにくいだろう。
 下向きな富田は真正面が水平線だとすれば、やや下を見ている。さらに前屈みになると、足元しか見ていないことになるが、さすがにこれもまた歩きにくい。
 前向きな姿勢、などと人生方面に当てはめやすいが、富田は歩いているとき、ふと姿勢が気になった。それは仕事や人生に向かい合うときの姿勢ではなく、単に肉体的な姿勢だ。
 襟を正すとか、背筋を伸ばし、などは身のこなしや姿勢を意味するが、相手に対しての態度だろう。
 富田はいつでも姿勢を正せる。その気になれば水平線を見ながら歩くことも、上を向いて歩くことも。
 さて、下向きだが、足元からさらに回り込めば股覗きになり、後ろ向きとなる。しかし、それではでんぐり返ってしまう。後ろ向きが方角だとすれば、北へ向かっていても南へ向かっていても、歩き方は同じだろう。
 山道なら足元を見ないと危ないので、真正面ばかりを見てられない。それに長距離を歩く場合、兵隊さんのパレードではないので、疲れるだろう。
 富田がそういう人生を歩んで来たから下向き、俯き加減になったのだろうか。しかし、これは幼い頃まで遡ると、人生規模の経験からではないようだ。つまり、富田は最初から恥ずかしがり屋の子供だったのだ。これは気付いたとき、既にそうだった。
 そんなことを思いながら、富田は歩いていた。
 そして、ふと胸を張り、頭を起こし、水平線が楽に見える姿勢で歩いてみた。たまに上まで見ながら。
 すると、自分が殿様にでもなったような気分になる。すごく偉い人のように。
 行き交う人をまるで見下ろすような感じだ。これは非常に気分がいい。長く下向き加減だったので、その効果が出たのだろう。
 そのうち、富田は「自分はそれほど偉くない」と感じ、その姿勢をやめた。するといつもの富田に戻れた。
 姿勢などいつでも変えられる。

   了



2013年9月30日

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