小説 川崎サイト



桑田

川崎ゆきお



 平田は大通りの歩道を歩いている。どこへ行くのかは決めていない。適当に歩ける場所ならそれでよかった。
 平田は初めて桑田の駅で降りた。どの駅でもよかったのだが、降りたことのある駅は選ばなかった。
 桑田は桑畑がありそうな地名だが、桑田区という市街地なので、桑畑が残っているとは平田も思っていない。
 案の定駅前は市街地が広がっていた。平田の住む町と同じような建物が配置が違うだけで植え込まれていた。
 都心部から遠いためか配置も間が抜けており、密度が薄い。
 平田は町並みを見ていない。既に知っている風景であり、気に止めるようなものがないからだ。
 それが平田の狙いかもしれない。一つ先の駅なら大きな神社や寺が集まった一角があり、緑も豊かで散歩コースにふさわしい。
 しかし平田はそれを外した。そういうお膳立てされた場所を避けたのだ。
 平田はその大通りから枝道に入った。なぜなら、そのまま進めば次の駅に出てしまうからだ。
 枝道を進むと徐々に人の気配がする。無機的だったマンションも洗濯物が見える角度となる。
 この一帯が桑畑だった名残は何もない。農家さえなく、神社らしい森や大木も見当たらない。
 平田だけが桑を意識している。ここに住む誰一人とて桑のことなど頭に浮かぶことはないだろう。
 桑の葉は繭の餌だ。そのための桑畑だが、この市街地では死語に近い。
 しかし、平田は桑畑を見に来たわけではない。またそれが残っているとも最初から期待していない。だが頭の中で桑が浮かび上がる。
 平田は桑の木や葉を実際に見たことはない。テレビや写真での記憶だ。蚕や繭も実物は知らない。
 平田がそのことを思うのは駅名の桑田からだ。
 平田の前に次々と四つ角が迫って来る。平田は幼虫のようにくねくねと右へ左へとジグザグに進む。
 どう進んだとしても風景は変わらない。よく見かけるいつもの建物が配置を換えて展開するだけだ。
 平田は町が桑の葉に見えてきた。
 
   了
 
 
 


          2006年11月6日
 

 

 

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