小説 川崎サイト

 

カゲマワリ

川崎ゆきお


「日が低くなりよった。こんなに影が伸びておる」
「あなたは、そういうものばかり観察されているのですか」
「ああ、これはこれは」
 老人の独り言だが、声が大きかったようだ。それを青年が聞き、突っ込みを入れた。
 ただ、見知らぬ年寄りに、若者がそんな簡単に声をかけるわけがない。老人はそれを感じたが、知らないふりをした。
「この道路は、ついこの間までは日が差していた。日影は歩道に少しかかっている程度でね。この四階建てのマンションの前には影はなかった。しかし、今はある」
「いつ頃からですか」
「朝顔の観察日記じゃないのだから、毎日見ているわけじゃない。ふと気が付くと、そうなっていた」
「でも毎日見ていたのでしょ」
「そうだなあ、毎日ここを通るので、見ていたはずなんだが、それは歩道の日影だけかな。車道は関係がないので、見ていなかったのかもしれない。いや、見ていたとしても、意識していなかったんだろうなあ」
「じゃ、どうして今日は車道まで影があるのに気付いたのですか」
「だから、ふとだ。何か道が黒いなあと感じたんだろうねえ」
「でもこの時期、影は毎日少しずつ延びていますよ。だから、分かりそうなものなのですが」
「いや、毎日じゃない。だって、十日以上雨とか曇りで、日が差す時間に見るのは希だよ。だから、かなり間がある。毎日じゃない」
「ああ、そうですねえ」
「ところで、あなたは?」
「あ、通りかかりの者です」
「それだけですか」
「はい、影のことを呟かれていたので、つい声をかけてしまいました」
「おお、それは珍しい。私の独り言に反応してくれる人は結構いますが、若い人は珍しい」
「影に興味があったものですから」
「こういう影をねえ。何か気象の勉強でもされておるのですかな」
「いえ、別に日時計を作るような趣味はありません」
「そうかい、じゃ、なぜ影を」
「影に興味があります。光と影の、あの影です」
「ああ、抽象的な意味での影ですなあ」
「はい、日の当たっていない場所とか人とか、そういったものです」
「おお、それは難しそうだ」
「また、心の闇のようなもの、闇と影とは違いますが、光があるから闇や影が出来る」
「おお、それは哲学ですなあ」
「いえ、そんな大層なものではなく、最近僕のキーワードになっています。だから、影に関係するものに気も向きます」
「気も向くか」
「はい」
「確かに向日葵も日を向くねえ」
「ああ、そんな感じです」
「で、君は日じゃなく影を向くわけだ」
「ああ、そうですねえ」
「じゃ、ヒマワリじゃなくカゲマワリだな」
「あ、いいですねえ。その言葉、頂きます」
「はい、どうぞ、持って行ってくだされ」
 青年はその後、影の研究をカゲマワリと呼ぶようになった。
 
   了




2013年10月2日

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