小説 川崎サイト

 

半月鏡の幽霊

川崎ゆきお


 これは怪談話なのだが、はっきりとしない話だ。まあ、幽霊など、はっきりとした存在ではないので、そんなものだろうか。
 室田は毎日その喫茶店へ行っている。そして座る席はいつも同じだ。窓際の明るい席で、本を読むには都合がいい。というのもこの喫茶店、特にレトロな感じではないが、昔の喫茶店なので照明が暗い。そして、かなり経つが、内装はそのまま。テーブルや椅子、照明器具も同じだ。
 室田は活字を追いながらも、たまに弓形のクラシカルな窓から通りを見る。当然そちらは眩しい。わざわざ見なくてもいいのだが、動くものがあると気になる。それは通りをゆく人や自動車だ。本と外とは同じ視界に入っているので、ついつい見てしまう。これは面白くない本を読んでいるときに多い。
 幽霊が出るには、あるタイミングが必要なようだ。
 雨が降り、昼間なのに夜のように薄暗いとき、喫茶店内の方が明るくなる。いつもなら昼行灯のように目立たないのだが、その電球の明かりが眩しく輝く。また、窓際は太陽光の色だが、そんな日は暖かな電球の色目になる。本の紙の色まで違ってしまう。いつもは白っぽいのだが、そういう日は赤みがかかる。喫茶店が急に夜になったような感じだ。これでお膳立てが揃った。
 室田が本を読んでいる位置から、右に窓、真正面に煉瓦の壁が見える。そこに出る。
 壁に出るのではなく、壁に填め込まれている左半月の鏡に出る。直径一メートルほどもある枠だが、鏡は左半分だけ。壁は煉瓦を組んだもので、鏡の外枠も煉瓦で円を描いている。煉瓦の向こうは、お隣のテナントだ。
 幽霊が出るのはこの鏡だ。映っているのである。
 室田は最初それを見たとき、すぐに左横を見た。その周辺が鏡に映っているためだ。当然誰もいない。
 店の人にそれとなく聞くと、笑われた。当然冗談だと思われたのだろう。長く店をやっているので、そんなことがあれば知っているはず。しかし本当に知らないらしい。ここで怪談は終わっている。
 しかし、室田は大きな手柄を立てたように、まさに幽霊の首を取ったような気になり、他で吹聴した。
 しばらくは、幽霊の出る喫茶店の半月鏡として、ネットにも上がり、それなりに拡散した。
 しかし、その正体はすぐに分かってしまう。通りを歩いている人が映っていただけなのだ、と誰かが指摘した。
 富田も、薄々そうだろうとは思っていた。丸みを帯びた窓格子なので角度や反射の関係だろう。しかし光の織りなす悪戯よりも、幽霊に持ち込みたかったのだ。出ても決しておかしくない雰囲気なので。
 そのため富田はこの怪談を捨てきれないようで、通りを歩いている人が映っていたとしても、その人が実は幽霊で……と、苦しい説明を加えた。
 雨の降る薄暗い真っ昼間、幽霊が歩いているのも悪くはない話だ。その人だけが傘を差していない。こちらだけ抜き出した方がよかったのかもしれない。
 これには後日談がある。この鏡と窓ガラスの関係では、どんな反射にせよ光学的に外のものを映し出せないのではないかと。
 さらに、どんな姿の幽霊だったのかを富田は一切語っていないことも、妙と言えば妙だ。怪談ではなく妙談かもしれない。
 
   了

 


2013年10月3日

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