小説 川崎サイト

 

家坊

川崎ゆきお


 気のせいだと思う。何かいるようなのだが、そんなものがいれば大変なことになるだろう。青木は極力そう考えるようにしているのだが、やはり、気になることは気になる。そして気にしだすと、ますます現実味を帯びる。
 家の中に何かいるのだ。
 そこは空き家になった叔父の家。叔父には子供がいない。それで青木は小さい頃からこの叔父夫婦に可愛がられた。叔父は老人という年ではない。家が広すぎるらしく、便のいい駅前のマンションに引っ越した。そのため、この家が空くことになる。よければ、ここに住んでみないかと言われ、青木は引っ越した。これで、部屋代が浮いたので、助かっている。
 
 音が聞こえた。
 叔父の家に泊まったことは何度もあるが、それは子供時代だ。その音は家鳴りだろう。木造家屋なので、柱や鴨居、そして敷居などがきしむ。長く支えているため、木で組んだ古い家は多少それはあるはず。柱に縦のひび割れも出来ている。まさか倒壊はしないだろうが眠りかけたとき、その音を聞くと地震でも来たのかと驚いた。これは正体が分かったので気にならなくなった。問題はそれではない。
 ただ、問題と言えるかどうかまでは、はっきりとしない。誰かがいるような気配がする程度なのだ。
 青木はその気配は何だろうかと考えた。五感で感じた何かに違いないが、そういった物理的な感覚を越えたものを捉えたのではないかと、余計なことに思いが走った。
 しっかりとした具体的な現象のある幽霊屋敷ではない。また、叔父の家なので幽霊屋敷呼ばわりは、どうかと思う。叔父はそんな話など一度もしていない。それに実の子のように可愛がっている甥に、住めなどとは言わないだろう。だから、誰かがいるような気配は、気のせいだと何度も断定した。そう判断したかっただけかもしれないが。
 
 気配の正体は意外と単純なものかもしれない。隣家とはわずかな余地で接しているだけに、そこからの声や音が聞こえてくる。また、庭には生い茂った葉の多い樹木があり、強い風が吹くと、悲鳴のような音がする。これも正体は木なので、問題はない。しかし、具体的な音で、気配ではない。
 隣家は三方面にある。三軒の家と接している。その中の一軒が幽霊屋敷だとすると、そこから悪いものが漏れて、たまにこちらに来ているのかもしれない。そこまで考えるのは、どうかしている。そんな幽霊屋敷がこんな住宅地にあるとは思えない。それに三軒とも普通の家族が暮らしている。
 開き戸がある。半畳ほどの押入の上にあり、天井と接する高い位置だ。小さな開き戸は鴨居と天井の隙間にあるため、背は低い。その戸がたまに開く。半畳の半分ほどの襖戸で、ドアのようにプチッと閉まるように出来ている。これが甘くなっているのだろう。こういうのは気配ではないのだが、開いていると、妙な気になる。
 そして、気配と言っているのは、誰かがそれを開け閉めしているのではないかと想像してしまうことだ。何かが出入りしているのではないかと。
 
 ある夜など隣の和室に誰かがいるような気配がした。この場合の気配は具体的で、畳をする音だ。歩いているのだ……足で。また早足で、さっと移動したり、飛び跳ねたりも。さらに昔の怪談にあるような衣擦もする。着ている着物がこすれる音だ。泥棒でも足音は消せても衣服のすれる音は消せなかったりする。
 畳の上を移動しているような音。歩いているような音。これは虫か何かが畳の上を這っているのかもしれない。ゴキブリかもしれない。音だけなら何とでも言える。
 それを青木は夜中、布団の中でじっと聞いている。最初からもう何か出るのではないかと思っているため、ずっとそれを気にし、聞き耳を立てるからだ。眠ってしまえばそのようなものが出たとしても、分からないままだろう。
 青木はこのことを叔父に聞いてみようかと考えたのだが、何となく失礼な気がする。家にケチを付けているように思われる。叔父は青木のことを可愛がってくれるが、青木は叔父夫婦のことは好きでも嫌いでもない。小さい頃からよく遊びに来る親戚の人程度だ。しかし、両親よりも叔父夫婦の方が接しやすい。それは一方的に可愛がってくれるためだろう。
 青木には兄がいる。叔父夫婦には子供がいない。兄は青木家の跡取りだが、青木はそうではない。まさか叔父の家を青木が継ぐわけにはいかないが、その家は、そこで絶える。それが見えてきた時点で、青木は養子に行かされるのではないかと心配した。これは憶測で、叔父夫婦はそんなことは考えていないようだ。
 しかし、叔父の家に住むことになったのだから、これは跡取りのようなものだ。家屋だけを継ぐ感じだ。しかし、その家が今問題なのだ。つまり、何かいる。
 これはやはり叔父には聞けない。
 
 建て付けの悪そうな玄関戸がガタ、キシギシと鳴る。レールに砂でも浮いているのだろか。
「連絡していました青木です」
「はい、お入りなさい」
 青木は三和土から廊下に上がる。
「まあ、お入りなさい」
 半開きの襖の隙間から、男が手で招く。
「妖怪博士のお宅でしょうか」
「そうじゃが」
「連絡しておいた青木です」
「うむ、聞いておるが」
「祈祷師のお婆さんから、それならこちらへ相談に行けと言われたものですから」
「相談のう」
「相談だけなら無料とか」
「誰がそんなことを」
「祈祷師のお婆さんです」
「あの砂かけ婆が」
「有料ですか?」
「いや、別によろしい。で、どんな話かな」
 青木はかいつまんで説明した。
 話し終えた後、妖怪博士はじっと思案している。
「何だか分かりますか」
「家坊じゃ」
「イエボウ?」
「家と、坊やの坊と書く」
「な、何ですかそれは」
「あなたは何処へ来られたのですかな」
「妖怪博士のお宅です」
「だったら妖怪だよ。家坊は」
「それで祈祷師のお婆さんは、ここを紹介したのですね」
「余計なことをする婆さんじゃ」
「それで、家坊とは何なのです」
「まあ、座敷童子のようなものじゃ。地方により、色々と呼び名はあるがな。福の神だと思えばいい」
「でも、叔父さんの家、そんなに古くはありませんよ。築三十年ほどです。それにそんな田舎でもないし」
「だから、座敷童子と区別しておる。座敷童子の現代版じゃ。従って和服ではなく普通の子供服を着ておるらしい」
「隣の部屋の畳をする音は、虫ではないのですか」
「虫を見たかね」
「いいえ、でもそれは逃げた後かも」
「虫か、鼠か、鳩かコウモリか雀か、それは分からん」
「でも、妖怪なんてあり得ません」
「ではあなたは、なぜ祈祷師の婆さんの所へ行ったのですかな。何かがいるので、祓ってもらいたかったのじゃろ」
「それはただの儀式です。それで、気が済むと思いまして」
「お茶、飲みますかな」
「はあ?」
「お茶も出さないでいましたからな」
「あ、いいです」
「いや、実は私が飲みたい。喋ると喉が渇くのでな」
「あ」
 妖怪博士は炊事場でゴソゴソしている。それが長い。
 青木はどうかしたのかと思い、見に行く。
「ああ」
 妖怪博士は困ったような顔をする
「どうかしましたか」
「お茶の葉の缶が見つからん。この棚に置いたはずなんじゃがな」
「あれじゃないですか」青木が指差す。
 まな板にある急須の横に並んでいる。
「よく見付けたなあ」
「だって、お茶に近いものを探していたら、急須があったので」
「急須か、まあいい。私はキビショと呼んでおる。それはさておき、お茶の缶を見付ける前に急焼を先に見付けたのかね」
「まあそうです。それが何か」
「いや、何でもない。ここから何か凄いことを引きだして語ろうとしておるわけではない」
「お茶の葉と急須の関係ですか。それと家坊とが関係あるとでも」
「だから、そういう話じゃない。勝って知らない家で、よく見付けたなあと思いましてな。私が見付けられないのに、あなたは見付けた。それだけのことじゃ」
「何か意味ありげですが」
「ないない。浅い浅い。浅い話じゃよ」
 妖怪博士は電気ポットの湯を急須に注ぐ。
 二人は座敷に戻った。何となく妖怪博士が話に茶々を入れたような感じだ。
「ああ……さて、話は終わったのですがな」
「家坊と言っただけで終わりですか。あの家も見ないし、調べないで」
「あなたはもうご存じではないのですかな」
「な、何がです」
「私よりも先に正解を見付けておられる」
「え」
「つまり、気のせいだと」
「しかし、気配が……何かいるのです」
「その何かとは何でしょうかな」
「分かりませんが、何かです」
「それは虫や鼠や風ではいけないのでしょうなあ」
「人の気配なのです」
「人ですか。あなたしか住んでいない。泥棒ではないでしょう。何も盗まれてはいないようですし。すると、勝手に入ってこられるのは勝手知ったる叔父さん夫婦だけですな。鍵もあるでしょ」
「叔父さん達はそんなことするわけがありません。それはあり得ません」
「じゃ、誰なんです。人の気配の、その人とは」
「分かるわけがありません」
「だから、家坊でいいのですよ。そう言うときは座敷童子の仕業にするものですよ。だから、もうお話しは終わっております」
「すみません。無料相談なのに長話をしてしまいました。しかし納得出来ません」
「ではあなたはどうしてそれを何かの気配だと感じたのですかな」
「虫とか風とかではなく、もっと別のものがいるように感じました」
「それが家坊なんですよ。まあ、名前はなんでもよろしい」
「妖怪なのですか」
「そう呼んでいます」
「ではなぜ家坊なのですか」
「妖怪の仕業、話はそこで終わるのですよ。私は早く終わらせたいのですがね」
「では、その家坊を消す方法はありませんか」
「とんでもないことをおっしゃる。家坊は神様系の座敷童子の現代版ですぞ。福の神ではありませんか。消すなんて、もったいない」
「そうなんですか」
「よく、居着いてくれましたと感謝しないといけませんぞ」
「あ、はい」
「あんたの家、叔父さんの家でしたか。そこに家坊がいる。これは非常にいいことなんだ。探しても見つかりませんぞ。また頼んでも来て貰えませんぞ。貧乏神ならゴロゴロ転がっていますし、呼ばれなくても来ますがな」
「はい」
「さあ、もうお引き取りください。実に羨ましい話だ」
「あ、はい」
 妖怪博士は何とか誤魔化したようだ。
 祈祷師の婆さんが、このネタを妖怪博士に振ったのは、高い祈祷料を、この青年が払えそうにないと踏んだからだ。
 
 その後、青木は家坊の振る舞いだと思うようにし、家の中をゴソゴソ動き回ることに対し、それほど深く考えないようにした。悪いものではないのだから。
 妖怪博士の話によると、家坊は五歳ぐらいの坊やなので、自由に遊ばせてやることが大事らしい。そしてたまには驚いたりふりをしてやれば、家坊大いに喜び、その家に福もたらすなり……とか。
 
   了
   


2013年10月8日

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