小説 川崎サイト

 

チャルメラの味

川崎ゆきお


 子供の頃食べたものは長く尾を引くようだ。同じものを大人になってから食べても、それと比べてしまう。そして、あれは何だったのかと思い出そうとする。あの頃、何をどう食べたのかと。
「ラーメンかい」
「そうです。子供の頃食べたラーメンです」
 ラーメン屋の親父が、いつも飲みに来る客と話している。子供の頃食べたラーメンが忘れられず、ラーメンにこだわり、ラーメン屋を始めたわけではない。
「どんなラーメンだったの」
「長く探していました。時間がかかりましたよ」
「思い出すのにかい」
「そうです。あの頃食べたラーメンなど限られていますよ。小学生低学年ですからね。ラーメン屋巡りをしていたわけじゃありませんから。だから、思い出せば出てくるのですが、なぜそれがあんなに美味しかったのかが分かりませんでした」
「ふーん」
「長くあの味を探しましたよ」
「大したラーンメンを食べたんだね」
「大したことはないのです。きっとあれが初めて食べたラーメンではないかと思います」
「じゃ、そのラーメン屋は分かるだろ」
「チャルメラでした」
「チャルメラ」
「チャルメラを鳴らしながら、屋台を引っ張っているんです」
「ああ、あるねえ。今もあるよ。駅前や繁華街じゃなく、流しているラーメン屋」
「秋の深まる頃でした。もう冬が近いので寒い頃」
「前置きはいいから、早く聞かせてよ」
「夜空にチャルメラが鳴るんです」
「近くに来ているんだね」
「家の前を通っている最中でした」
「そのラーメンを食べたんだね」
「早い話がそうです。ラーメンと言わず、お爺ちゃんはシナソバと呼んでました」
「そのラーメンの味が忘れられないってことか」
「母親がね、急に散財したくなったのか、頼みました。家の前に止まり、それを外ではなく、家の中で食べるのです」
「散財とは大げさだな。そんなラーメン程度で」
「いやいや、うちの家庭は外食なんてほとんどしませんでしたからねえ。おそらくこれが、生まれて初めて食べたラーメンだと思いますよ」
「どんなラーメンだい」
「普通のシンプルな醤油ラーメンでした」
「じゃ、どこにでもあるラーメンじゃないか」
「そうなんですが、しかし、その味がずっと残ったのですよ」
「珍しい味だったわけだ」
「ラーメンそのものが初めてすからね。珍しいには違いないのですが、今思うと、お客さんのおっしゃるように普通のラーメンです。シンプルな。スープがどうのと凝ったものじゃありません」
「じゃ、どうして、その味だけが今も残ってるんだい。その味、このラーメン屋の味と繋がってるのかい」
「それはありません」
「でも、忘れられない味なんだろ」
「そうです。今も思い出せます」
「じゃ、親父さんの家族と関連したドラマが味になってるんじゃないのかい」
「ありません」
「うーん。じゃ、なんだい。それは」
「私も長く考えました。なぜあのラーメンだけがと」
「それで分かったのかい」
「はい、分かりました」
「教えてよ。かなり長く話を聞いたんだからね。聞き賃だよ」
「ラーメンそのものではありませんでした」
「じゃ、なんだい」
「コショウでした」
「え、コショウ」
「生まれて初めてコショウを口にしたことになります」
 客は、テーブルにあった大きなコショウ缶を手にする。
「これかい」
「ラーメンの味ではなく、コショウの味と香りでした。うちにはコショウはありませんでした。屋台の人がコショウと一緒に運んできたのです。それを姉が振りかけたのです」
「じゃ、ラーメンには謎はなかったわけだ」
「だから、どんなラーメンでもコショウさえ振りかければ、あの頃の味になります。私はラーメンにコショウを使わないタイプでしてね。それで長く気付かなかったのです」
「究極のラーメンかと思ったぞ」
「はい、お生憎様でした」
 
   了



2013年10月24日

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