長者屋敷の謎
川崎ゆきお
妖怪博士は住宅地を歩いている。
案内しているのは大村老人だ。この近くに引っ越して一年目。息子夫婦が家を新築したので、そこに引き取られた感じだ。
今回の妖怪は家。
大村老人が妙な家を見たらしい。次の日に行ってみると消えていた。そのことを何度も何度も息子夫婦や孫に語った。口を開けば、その家の話になる。語りすぎだ。
そして、消えた家のことを長者屋敷と言い出したので、もう手に負えなくなり、妖怪博士に依頼した。
その家を今、大村老人は妖怪博士に案内中だ。
「この辺りだったと思うのだが」
大村老人も記憶が曖昧なようだ。また、似たような家が建て込んでおり、通りも多い。家家家で、目印になるようなものが少ないのだろう。
二人は何度も同じ通りを行ったり来たりする。見落としている枝道があると、そこに入る。
「あれじゃありませんかな」妖怪博士が家のない地面を指差す。更地だ。
「ああ、場所的、位置的には、ここかもしれませんが、家がない」
「だから、消えたように見えたのでしょ」
それだけのことで済めば、労はない。
しかし、大村老人が見た家は、普通の家ではない。
「門は開いていました。お寺か何かと思い、中に入ったのです。非常に大きな屋根でした。庭があり、玄関がありました。それも開いていました。武家屋敷のような、または、料亭のような感じでした。人様の家に勝手に入り込んではいけないのですが、招かれたような気がしたのです。夕方の話です。もう薄暗くなりかけていました。しかし屋敷の中は明るいのです。まるで流行っている料亭のように、どの部屋にも明かりがあるような」
大村老人は今まで何度も家族に話したことを、今は専門家の妖怪博士に喋っている。いつもより、声の調子が弾んでいた。
「招かれたとは、どういう感じでしょうかな」
「いい匂いがしました。そして、音曲はないのですが、浮かれたような気分になりました。気分が浮いてしまったのでしょうね。ついつい中へ」
「はい」
「中には大きな広間がありました。襖を全部取り外していたのか、何畳敷きかは覚えていませんが、ヘルスセンターの大広間のような」
「ヘルスセンターですか」
「最近なくなりましたが、日帰りで温泉に入り、大広間で食事をとるんです。安かったのです。昔の話ですが」
「はい」
「それで、そのヘルスセンターとは違いますが、宴会場のような座敷で、座椅子がずらりと並んでいました。そして、お膳が一つだけ用意されていまして、天ぷらや刺身、お吸い物や小鉢が色々と」
妖怪博士は聞いているしかない。
「私のために用意されたように、私は勝手に思い込み、そこに座り、食べました」
「他に人は」
「はい、当然それを思いました。しかし、声をかけても誰も出てきません。しかし、誰かと出合うのは怖いような気がしてきましたので、食べるだけ食べて出ました」
「大広間からですかな」
「家からです」
「はい」
「それは確かに長者屋敷ですが、山中などに現れると聞いております。まさかこんな新興住宅地に出るとはねえ」
「そうでしょ。長者屋敷でしょ。家の妖怪なんでしょ」
「まあ、そうなのですが」
「よかった。専門家も同意した。早速息子たちに知らせないと」 それから数日後、妖怪博士付きの編集者が妖怪博士宅に立ち寄った。
「博士、久しぶりに妖怪が出たわけですね。しかも今回は家の妖怪ですか」
「まあ、そうなんだが」
「やはり出ましたか」
「それだけかい」
「え、何がです」
「妖怪が出たのに、その程度の反応か」
「ああ」
「本当に出たとは思ってはおらんだろ」
「まあ」
「その、まあ……だ。誰が聞いても答えはもう出ておる」
「やはり、お年寄り特有の」
「それよりも、昔は山の中や人の気配のないような場所に大きな屋敷が出現した話がある。それを長者屋敷と呼ぶ地域もある。長者さん、つまり大金持ちの大邸宅じゃ」
「はい」
「それが人里離れた場所に屋敷など建てるかね」
「だから、屋敷の妖怪なんでしょ」
「まあ、そうなんだが」
「今回は住宅地の中に現れたのですね。人里のど真ん中ですねえ。そこがちょっと違いますが」
「その大村老人に聞いてみたのだが、故郷は草深い山村で、田舎の人だった。子供の頃、長者屋敷の話を聞いたようだな」
「その山里に伝わる怪異ですか」
「らしい」
「昔の村の長者さんの豪邸だろうなあ。イメージ的には」
「しかし、ヘルスセンターのような座敷だったんでしょ」
「それも聞いてみた。船田ヘルスセンターだった。温泉が出る大きな銭湯のようなものだろう」
「じゃ、どういうことに」
「ミックスされておるんだろうねえ」
「子供の頃聞いた山中の長者屋敷とヘルスセンターがですか」
「うむ」
「そうですねえ、スーパー銭湯は街中にありますからねえ」
「大村老人が見たという場所は、更地になっておった。そこに長者屋敷があったというのじゃが、当然そのかけらもない」
「結局は老人のボケ話を聴きに行っただけですか」
「もう一人、似たような話があった」
「はい」
「それも長者屋敷タイプじゃ」
「はい」
「同じように街中に屋敷が出現するが、家のタイプが違う」
「どんな」
「妓楼じゃ」
「遊郭ですか」
「この老人は若い頃遊び人だったらしい」
「じゃ、人も出てくるのですね。長者屋敷は無人ですが」
「共通するのは、それぞれの心象だろうなあ」
「はい、妄想や幻覚は、そんな感じかと思います」
「昔話では長者屋敷が現れ、そこに入り、ごちそうを食べ、食器などを持ち帰ると、その人の家が地味に栄えたらしい」
「舌切り雀の、雀のお宿もそうですねえ。小判を持ち帰りますよ」
「そんなことが実際にあったとは思えん」
「はい」
「ややこしいことは、人様や世間の所為ではなく、狐狸妖怪や異界の仕業とする。人ではないので罪には問えん。長者屋敷もそうじゃ」
「山中の屋敷なんですから、山賊のアジトかもしれませんねえ」
「どこでリアルと繋がるかじゃ。簡単にお宝を持ち帰りなど出来んじゃろ。それこそ山賊と取引をしたとか、山賊になったとか、そういう動きが必要。しかし、それらは省略されておる。ここを埋める必要がある。それは決して人様に、つまり里人には話せぬような行為のはず」
「でも博士、今回の大村老人の話は、何も持ち帰っていませんよ。ただの幻覚でしょ」
「多方面の事柄を長者屋敷が引き受けておるように思われる。幻覚は希ではないかな」
「惚けて妙なものを見たんじゃないのですか」
「だから、多方面の事柄を引き受けておるのじゃよ」
「どんな方面ですか」
「山賊のアジトを長者屋敷として引き受けるのもようかろう。これには具体性がある。そして」
「そして?」
「嘘もある」
「虚言ですか」
「大村老人はそれに近い。長者屋敷を見たことにしておると、私は考えている。それは大村老人と話していて、この人は惚けておらんと感じたからじゃ」
「じゃ、本当にそんな屋敷が出現したのかもしれませんよ。もしそうなら大変な話です」
「君は家の妖怪が出現して、更地におるなど、信じられるか」
「それは、まあ」
「それなら全国至る所の更地や空き地に出現しておるはず」
「では博士、今回の事件は、どう解釈すればいいのですか」
「虚言を吐く自由があってもよろしいということかな」
「それだけですか」
「大村老人のプライベートは私には分からぬ。家族の事情もな。ただ、長者屋敷を引き合いに出したかったのだろう」
「引き合い」
「子供の頃聞いた長者屋敷に託したいものでもあったのかもしれんのう」
「しかし、博士」
「ここで終わりじゃ。もう、まとめたのでな」
「まとまっていませんが」
「まとまらぬは世の常」
妖怪博士は大村老人の家族に結果を報告した。老人が幻覚を見たと。
大村老人は特に反論しなかったようだ。
了
2013年10月26日