小説 川崎サイト

 

散歩癖

川崎ゆきお


「毎日続けないと駄目だねえ」
 散歩中の老人が散歩中の老人と話している。このときは足は止まっている。
「どういう意味かな」
「いや、散歩にしてもそうなんだが、毎日続けないと駄目だ」
「ああ私の場合、日課だから、そんなこと考えたこともないが、あなたはよく休むねえ」
「運動のために歩いているんでね。ちょっと調子が良くなると、運動はもういいかと思うようになるんだ。それで、調子が悪くなると、また歩き出す。これはねえ、散歩が好きなんじゃなく、健康維持のため、嫌々やっているようなものなんだ。だから、さぼりがちになる」
「そうなんですか。私は歩くのが好きでねえ。最初はそれほどでもなかったけど、毎日歩いていると歩くのが好きになった。歩くだけじゃなく、こうして外に出ているのがいいんだよ」
「僕は外に出るなら、クルマかチャリがいい。歩くのは苦手だなあ。しかし、そうすると、ますます歩かなくなり、体の調子も悪くなる。運動不足なんだろうねえ」
「まあ、歩きたくなきゃ、歩かなくてもいいさ」
「いや、歩きたいんだよ。歩くと調子がいいんだ。だから、歩きたい」
「なのに、どうしてさぼるのかな」
「散歩に出るのは自発的なことだからね。命令されたわけじゃないし、誰かからチェックを受けているわけじゃない。だから、油断があるんだな」
「油断とは大げさだねえ」
「それで、一つ悟ったんだ」
「ほう、何かな」
「毎日続けるのが大事だってこと」
「そんなこと、子供でも知ってるでしょ」
「いや、そうじゃない。それには原理がある」
「原理とは大げさな」
「一日休むと、次の日、出るのに気合いがいるんだ。それに昨日は休んだ焦りもある。これは自分に課した約束を破ってしまった罪悪感やらプレッシャーやらも加わる。これで、さらに足を重くしてしまう。ところが毎日散歩に出ておれば、その種の精神的負担はない。楽に出られる。この違いは大きい」
「また、難しいことを……」
「一日とは、ただの時間じゃない。時間の長さじゃないんだ。これはねえ睡眠とも関係してくる。何時間も眠るでしょ。そして起きてくる。そしてまた、寝る。そこで一度記憶が切れるんだよね」
「まあ、一日一生と言いますからなあ」
「そうそう、それそれ、だから、毎朝起ち上げているのですよ」
「それが、何か」
「だから、一日さぼると調子が狂う。昨日歩いていなかったんだから、方向性が曖昧になるんだ」
「だから、それはただの習慣なんですよ。朝、散歩に出る。それはもう習慣なんですよ。特に決心もしていません。気が付いたら外に出ていますよ」
「それなんだ、それ。決心しなくても出られる。これなんだなあ」
「意識しすぎですよ、あなた」
「それそれ、それなんだ。意識しなくても自然に、普通に散歩に出て行けること。これはねえ、やはり毎日続けていないと、その癖が付かないんだねえ。数日休むと、体も頭も、そういうのも(あり)と思うんだよ」
「なるほどねえ。それはあるかもしれませんなあ。三日坊主で終わるかどうかは、四日目に決まる」
「四日目をクリアしても、五日目が無理だったら、四日坊主ですねえ」
「しかし、あなた、休みながらも、散歩を続けているじゃないですか」
「あなたは、そんなことはありませんか」
「私だってたまには休みますよ。風邪できついときや、雨の日は休みますよ」
「翌日はどうですか? 気合いは?」
「気合いなど掛けなくても、今日は歩けると思い、喜んで出ますよ」
「その差は何だろう。やはり(毎日欠かさず)だけの問題ではないのかなあ」
「まあ、歩くのが好きなんでしょうねえ。それだけの違いですよ。特に健康を意識したり、運動を意識などしてませんよ」
「ただの個人差の問題ですか」
「そうです」
「数日さぼって散歩に出ないときがあります。かなり気合いを入れて、出掛けたとき、歩いていて(よくやった)と、自分を褒めることがあります。あなたには分からないことですよね」
「どんな状態でも、それなりにいい面もあるんですから、気にする必要はない」
「あ、引き留めて、長話をしました。久しぶりに散歩に出たので、誰かに言ってみたかったのです」
「はいはい」
 
   了


2013年11月14日

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