幽霊になった男
川崎ゆきお
「これは悪夢だと思います」
「はい、どんな夢を見られましたかな」
「悪夢だと思うのは、魘されたからです。自分で声を出していることが分かりました。夢の中で出している声ではなく、夢を見て眠っている自分が発している声です。音です。この違いははっきりとしていました。聞き分けられるのでしょうねえ」
「そうですねえ。夢の中での音は実際には耳では聞いていませんからねえ」
「はい、それで、目が覚めました。(わーと)とかの声だったと思います。言葉とは少し違います。言葉を知らない人間でも発することが出来るような叫び声でしょうか」
「どんな夢でしたかな?」
「ほとんど忘れてしまっていますが、電気のスイッチを押しても反応しないのです。そのスイッチは外灯や玄関のスイッチと同じ場所にあります。トイレは離れていますが、スイッチはそこにあります。スイッチを押してもトイレの窓が明るくならない。あ、これは夜の夢ですねえ。今、気付きましたが。それで外灯のスイッチ、玄関のスイッチと続けて押したのですが、そちらも反応しません。これは何か霊的なものが邪魔をしているような感じです。ホラー映画でよくあるような」
「スイッチを押しても明るくならない。それを怖いと感じたのですかな。悪夢と」
「それぐらいなら、叫び声を出して起きてきません」
「そうでしょうなあ。それでどんな怖いシーンを見られたのですか」
「それが、よく分からないのです」
「はて?」
「天井を見ました。そこに何かがいるのです。しかし、それが見えません」
「はて?」
「だから、怖いものは見ていないのです。でもいるのです。夢の中では、いると決めつけているのです。そこにいるものとしてシナリオがあるように。どうしているのか、なぜいるのかまでは分かりません」
「では、怖さはどこから来たのでしょうなあ」
「分かりません。これはきっとモダンホラーだと思います」
「ほう、モダンな」
「はい、怖がるような映像はありません。怖いものも出てきません。しかし、何かおかしいのです。しかも非常に恐怖を覚えるような雰囲気が被さっているのです」
「訳なく怖いと。先に怖さありきですかな」
「これは疑心暗鬼ではありません。なぜなら電気のスイッチが反応しないからです。停電ではありません。いつも点けている電気は点いています。この電気はキッチンの蛍光灯です。キッチンからの明かりがあるので、トイレや玄関先へ続く廊下がよく見えるのです。そのため一晩中点けています。だから、停電ではありません」
「トイレへ行く前のエピソードはありませんかな」
「あったような気がしますが、忘れました」
「その夢の中に出てくる家はあなたの家ですね。現実と同じ」
「きっとそうだと思いますが、天井がないのです」
「はて」
「天井板が外れてパイプ類が見えていました。しかも太い管です。そんなパイプは通っていないはずなんです。電線程度で」
「マンションですか?」
「いえ、平屋の木造家屋です。かなり古いですが」
「それを見て怖くなかったのですかな?」
「はい、夢の中では最初からそういう家だと思っていたのでしょう。今、考えると、怖い話ですが、それよりも……」
「何でしょ?」
「そのパイプ類が複雑に通っている隙間に怖いモンスターのようなものがいるのではないかと思いまして、探しているのです。そして、対決しようとしていました」
「怖いもの見たさではなく、怖さの核心と対峙する気だったのですかな」
「はい。しかし、それらしいものはいません。そこで私は見えない敵、見えない恐怖。この場合、おそらく幽霊だと思います。悪霊だと思います。そこにいるものと思って幽霊の格好をしました」
「はあ、何ですかな」
「だから、幽霊の格好、スタイルをして威嚇しました」
「幽霊のスタイとは、どのような」
「腕を、こう、前に垂らして、うらめしやーという、あのスタイルです」
「なぜ幽霊と対決しようと思ったのですかな」
「開き直りです。訳が分からなくなり、やけくそになったのでしょう」
「はい」
「そして、幽霊スタイルで、廊下を行ったり来たりしました。敵は上にいる。パイプのある場所にいるはずですから、やや上を向きながら」
「何かしないと不安だったのですね。しかし、怖いものは何もまだ見ておられない」
「そこからです」
「ほう」
「そのスタイルで廊下を行ったり来たりしていると、狂ってきました。私がです。きっとこれは狂言のような動作のためかもしれません。能か狂言の舞台を行ったり来たりしているようなものです。それで、ものすごい恐怖が湧き上がってきたのです。自分で自分を高めたのだと思います。怖さを盛り上げてしまったようです」
「要するに、自分自身の幽霊スタイルが怖くなったのですな。まるであなたが幽霊になったかのように」
「はい、そういう振りをしていることが怖くなってきました。舞踏と同じです。高まりすぎ、そこで悲鳴を上げました。その悲鳴は夢の中の悲鳴ではなく、夢を見ている自分が、本当に出した声でした。それで起きました。そして、ああ、魘されていたなあ、と思いました」
「なるほど」
「何でしょうか、この悪夢は」
「まあ、元気すぎるんでしょうなあ。もう少しスローなペースで過ごされる方がよろしいかと」
「悪い状態ではないのですか?」
「悪い状況の時は、うんと幸せな夢を見るものです」
「はあ、そんなものですか」
「悪夢は気になさることはありません。大丈夫ですよ」
「ああ、よかった」
「もう少し、のんびり気味に過ごされることです」
「はい、ありがとうございました」
了
2013年11月22日