小説 川崎サイト

 

石ころ老婆

川崎ゆきお


「見聞を拡げるのはいいが、それが役立つとは限らない」
「そうなんですか」
「様々なことを知っておると、逆に迷いが出る」
「師匠は諸国遍歴で実際にものを多く見られているのでしょ」
「見れば見るほど、世の中には様々なものがあることが分かるのだが、それが邪魔する」
「それが役立つのではないのですか」
「まあ、豆知識としては役立つが、実際は別じゃ」
「実践は別なのですか」
「だから、足を引っ張ると言っただろ」
「それは逆なのでは」
「世の中どうとでも言える。これが結論だ」
「つまり、自分の意見というのも、一つの意見にしか過ぎなくなるのですね」
「ハハハ、意見か」
「意見が、何か可笑しいのですか」
「そうではないが、どんな意見も言えるようになる。だから、どれが本当の意見なのかが分からない」
「様々な情報を得ることで、公正な判断が行えるように……」
「その情報とやらを得すぎ、本当に自分はどう思っているのかが分からなくなった」
「大丈夫ですか、師匠」
「困った師匠になったわい」
「妙ですねえ」
「ある村にて老婆を見た」
「あ、はい」
「村から一歩も出たことがなく、文字も読めぬ婆さんじゃ」
「はい」
「その婆さん、迷いがない。わしより悟っておるし、言うこともしっかりしておる。この無学な婆さんの方が、わしより優れておった」
「それは何かの比喩ですか」
「いや、実際に出合った実感論だ」
「どうして、その老婆の方が師匠より優れているのですか」
「知らん」
「え」
「よく分からんが、そう感じてしもうた」
「そんな婆さん、いくらでもいますよ」
「わしより、しっかりしておる。自分の意見がある。生き方の筋道もしっかりしておる。意見以前に、もう出来上がっておるのじゃ。だから、実践がそのまま意見となる」
「師匠、それは難しく考えすぎですよ」
「いや、単純に考えれば、そうなる」
「わしが得た博識など、この老婆の前では薄っぺらい紙のようなものになる」
「面倒なところに入り込みましたねえ、師匠」
「この老婆を越えられぬ。いや、そういう目論見が駄目なのだろうなあ」
「はあ」
「あの老婆は、何も越えようとはせん」
「普通のお婆さんでしょ」
「だから、深刻なのじゃ」
「あの老婆、あらゆる可能性や選択肢など、考えてはおらん。わしが諸国遍歴で訪ねたどの偉人よりも優れておった。道の石ころのように、いくらでもゴロゴロ転がっているのになあ」
「師匠が得たその境地は、どういうものなのですか」
「だから、そういう境地云々以前のところのものなのだ」
「あ、はい」
「これは、越えられぬ。わしは遠くまで来てしまい過ぎた」
「はいはい」
「なんだその相槌は」
「そんな石ころのような老婆が最上位だとすると、弟子の私達はどうなります」
「そうだな」
「言わなかったことにしてください。私にも弟子がいます。その弟子にも弟子がいます」
「ああ、そうじゃな」
「そうして下さい」
「はいはい」
 
   了




2013年12月14日

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