小説 川崎サイト

 

開かずの窓

川崎ゆきお


「人が怖い。特に顔が怖い」
「顔ですか」
「表情が一番出るでしょ。顔は」
「どう思っているのか、意志のようなものが顔に出るわけですね」
「コミュニケーションが怖いと言うことでもある」
「確かに人が怖くなることがありますねえ。この人、何を考えているのかと」
「もっとダイレクトな体験を私はした」
「何でしょうか」
「怪談に近いがね」
「幽霊が出ますか」
「出ない」
「どんな体験でしょうか」
「私は庭に面した部屋で過ごしている。猫の額は狭いと言うが、何処が額なのか分からない。しかし、狭い庭だ。小さな建売住宅がびっしりと並んでいる場所でね。隣近所の声がよく聞こえる」
「猫が出てきますか」
「出てこない」
「はい」
「座敷から庭を常に見たいので、ガラス戸のカーテンは開けている。布団に入っても外は見える。さすがに庭は見えないがね。隣の家が見える。空も少しだけ見える」
「覗かれそうですねえ」
「庭の向こう側の家の窓は常にカーテンが閉まっておる。その二階の窓からでは私の居間は見えない。ただ……」
「何か」
「庭の右側に隣の家が迫っておる。こちらのほうが近い。そして窓がある。明かり窓程度のものだがね。小さい。ここは至近距離でね。だから、この窓は常に閉まっておる。カーテンはないが、曇りガラスなので開けないと見えないだろう。引っ越してここに十年ほど住んでいるがね、その窓が開いたのを見たことがない」
「目を合わすからでしょうねえ」
「そうだな。近すぎる。その家は大きな息子がいる。まだ、結婚しておらん」
「はい」
「居間から庭を見ると、自然に窓が目に入るのだが、開くことはないので、壁のようなものだ。だから、気にしたことはない。ただ……」
「ただ?」
「その窓のある部屋はキッチンだろうねえ。音は聞こえないが、間取り的にはそうだ。表から見ると、このキッチンの窓は別にある。かなり大きな。だから、私の居間から見える窓は必要なかったのかもしれない。だから、明かり窓程度に小さい。夏でもこの窓は開かない。風通しで開けるはずなのだがね。また網戸も入っていない。開けるつもりが最初からないんだ。開けると私の居間が丸見えになる。だから開けないことにしているんだろうねえ」
「どんな夫婦ですか」
「もう一人息子がいたようで、もう孫がいる。私との関係は普通だ。お隣さんだからね。挨拶程度はする。それ以上親しくはないが、互いに笑顔で挨拶をするよ。特に問題はない」
「はい」
「これは怪談ではない。しかし、それに近い」
「何か異変があったのですね」
「朝、私は結構早く起きる。起きるとテレビを付け、食事をする。左側に庭を見ながらね」
「はい」
「顔だ」
「顔」
「視線ですぐに分かった。あの窓に顔」
「はい」
「横の家の奥さんが笑っている」
「それは……」
「笑顔で私をじっと見ているのだ。私は茶碗を落とした」
「開いたことのない窓でしょ」
「開いているだけでも驚くが、そこに人の顔。顔だけでも驚くが笑ってこちらを見ている」
「それは怖いです」
「私は驚いて、隣の部屋へ逃げたよ」
「何だったのですか」
「戻ってくると、窓はもう閉まっていた」
「それは、何でしょう」
「今でも分からない。笑っていたのか泣いていたのかも、今となっては分からない。似たような表情になるからねえ」
「夫婦げんかでもしたのでしょうか」
「分からない。私を脅かそうとしてやったとは思えない」
「その後、どうなりました」
「何もない。その奥さんと顔を合わせても、いつも通りだ」
「はい」
「それは一年前の話だ。その後、窓は開かない」
「何だったのでしょうねえ」
「分からない」
 
   了



2013年12月17日

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