小説 川崎サイト

 

とある初詣

川崎ゆきお


 大晦日の夜。村岡は初詣に出た。除夜の鐘が鳴る手前だ。
 駅に降りつときから人出が多く、参道へ続く道も行列が出来ている。ゆっくりだが流れているので、村岡もそれに加わった。
 神社までは僅かな距離で、普段はがらんとしている。駅前にある喫茶店が明るい。そこにも行列が出来ており、簡単には休憩出来ない。寒いのでトイレが近い。そういう客も多いだろう。
 露店が並び、通りは明るい。ただ参道の真ん中を歩いていると露店が見えない。人の頭や背中ばかり見ていることになる。
 進むに従い動きが鈍くなる。一歩がなかなか出ない。そのうちその一歩さえ出なくなる。完全に止まってしまった。
 何分かその状態が続き、やっと動き出したかと思うと、二歩ぐらいで止まる。
 村岡は一人で来ているので、行動は自由だ。自分の意志だけでどうとでもなる。ここから自由になりたいと思えば、いつでも動ける。前方へは動けないが、横へは動けた。
 村岡は露店を覗くふりをしながら、端に行き、そのまま枝道に入り込んだ。つまり、参拝を諦めたのだ。あまりにも有名な神社であり、交通の便もいいので、参拝者が多すぎるのだ。村岡はそれを知っていたが、何とかなると思っていた。しかし、やはり我慢出来ない。足りないのだ、我慢が。
 村岡は特に信仰心はない。この神社でなくてもいいのだ。しかし、この駅まで来たのは、ここの神社が目的だ。何処でもいいのなら、町内の神社でもよかった。
 枝道を進んで行くと、薄暗い場所に出た。もう普通の住宅や雑居ビルが並んでいる通りだ。更に進むと高い建物は減り、閑静な住宅地に入って行く。昔からあるような町並みだが、やや古い程度で、歴史的景観云々の場所ではない。
 外灯が減り、やや薄暗い小径の向こうに明かりが見える。暖かい火だ。それは電球を入れた提灯で、神社の鳥居前にある。村岡はその下を潜った。今度は境内に明かりがあり、それは焚き火だった。何人かが当たっている。
 ちょうど暖が欲しかったので、村岡もそこに加わる。数人おり、顔が火で赤く見える。熱いので、後ろを向いている人もいる。
 この町が村だった頃からありそうな氏神さんだろうか。近所の人しかお参りに来ないような場所だ。
 やがて除夜の鐘が響くと、焚き火に当たっていた人達はすぐ前にあるお宮に向かい、お参りを始めた。数人が並んでいる程度だ。
 村岡はこれだと思った。これでいいのだと。何よりも待ち時間が少ない。先頭で縄を降ってカネを鳴らしている人の横に並ぶことも出来る。ガラガラだ。賽銭箱が目の前にあるのだが、中は暗くて見えない。
 神様なら何でもいい。それが仏さんでもいい。それらは結局は同じものではないかと思う。入り口は違うが、中身は同じなのだ。
 神と仏の違いさえ越えた存在。だから、何処からでも入っていける。
 それが村岡の考えだが、思想とまではいかない。何となくそういう接し方でいいのではないかと思っている。
 だから、村岡の住む町の神社でなくてもいい。初詣は賑やかな場所が好ましいのだが、賑やかすぎた。誰かと一緒なら、抜け出したりはしないで、目的通りの行動を取るだろうが、一人だと自由だ。
 境内の端におみくじ売り場がある。神主がいる神社なのだ。その前にテーブルが置かれている。おばさんが小さな器に酒をついでいる。御神酒だ。参拝を住ませた人は、そのテーブルへ向かい、飲んでいる。
 テーブルの横に酒造メーカー名が記された酒樽があり、そこから柄杓でつぐようだ。村岡も頂戴する。
 周囲にいるのは地元の人のはずだが、無言だ。顔見知りが一人や二人いるはずなのだが、話し声がない。そして、誰も村岡を意識していない。つまり、余所者が来ているなどというような目で見ていない。
 村岡は三杯目を飲み終え、身体が暖かくなったので、その勢いで、駅まで戻ることにした。
 ここの神様に何を願ったのかは忘れた。思い付かなかったので、二三、何か願ったはずだが、健康とか、仕事とか、抽象的だった。決まり文句を並べただけかもしれない。
 しかし、静かで厳かで、結構いい初詣だったと、枝道に入ったことが結果的によかったと思った。
 そして、あの行列が出来ている参道まで戻ったはずなのだが、誰もいない。
「来たなあ」
 村岡はパニックになる手前で、そう言い聞かせた。
 妙なところに入り込んだのだ。
「道を間違えただけ」
 これだけが、唯一の希望だろう。
 
   了

 



2014年1月1日

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