小説 川崎サイト

 

前方の男

川崎ゆきお


 でっぷりと太り背も高い男で、リュックを背負っている。山登り用ではなくビジネス向けだ。
 その後方から来る男は勤め人らしく、地味な服装で特徴がないのが特徴だ。
 この二人、数十メートルの間を開けて歩いている。駅までの道なので、通勤中だ。マラソン中継で望遠で撮せば二人の距離感は殆どないだろう。毎朝毎朝二人はこの間隔で歩いている。その順番は前後することはない。決まった時間に家を出るためだろう。
 駅に着くと同じ電車に乗る。数十メートルの差はここで吸収される。そのため、どちらが先頭でも結果は同じで、その差があるとすれば電車の待ち時間だろうか。朝の通勤電車は十分間隔で出ている。その電車に間に合えばいいのだ。それ以上早い便でも駄目だし、それ以上遅いと間に合わないかもしれない。だが余裕を持って、もし乗り遅れても次の便でもぎりぎり行けるよう、予備として残している可能性もある。
 二人は全く面識がない。後方の勤め人は、もう何年も太った男のリュックを遠くから見続けている。
 後方の男だけが、前方の男を認識している。前方の男は振り返らないと、後方の男の存在は分からない。しかし全く気付かないかといえばそうではない。何かの拍子に後ろを見ることもある。また、駅のホームで周囲を見ることもあり、後方の男が目に入るはず。
 しかし後方の男の方が、より前方の男を認識している。
 ある朝、前方のリュックの大きな男の姿が消えた。後方の男は気付かなかった。風景の中の一つにすぎない存在なので。
 一週間ほどその状態が続いたとき、やっと気付いた。いつも前方を歩いている男を最近見かけない……と。しかし、そこまでだ。それ以上の話ではない。自分とは何の関係もないことで、何の影響も受けないからだ。
 数週間後、風景が戻った。リュック姿の大きな男が歩道を歩いている。後方の男がいつも見るサイズで。
 しかし、いつ頃見かけなくなり、いつ頃見かけるようになったのかは曖昧だ。沿道の花がいつ咲き、いつ散ったか程度の話。
 だが、前方の男は数週間消えたことは事実で、それなりの事情があったのだろう。
 
   了



2014年1月7日

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