絵描き友達
川崎ゆきお
富松は画家からイラストレーターとなり、大成した。エッセイや小説が本になり、それも売れた。色々な賞も貰い、その業界での大家となった。大家らしく大きな家に住んでいる。城のような洋館だ。
そこへ引田が現れた。同じ美術学校での同期生だ。画家への夢も著名人への夢も果たせないまま、実家の家業を細々と継いでいる。
「珍しいじゃないか、引田君」
「ああ、近くに寄ったものでね。こんな城のような家、敷居が高いよ」
「昔は、同じ下宿屋にいたねえ」
「下宿屋か、懐かしいなあ」
「敷居はあったが襖一枚だった」
「そうそう」
アシスタントかスタッフかよく分からない女性が紅茶を運んできた。
「奥さんは元気かい」引田が聞く。
「別の場所に住んでる」
「そうなのか」
富田は黙ってしまった。
「忙しそうだね。仕事中だったんじゃないのかい」
スタッフが部屋から出て行く。
「ああ」
「どうかしたの。富田君」
「つまりねえ、やる気がないんだよ」
「いやいや、仕事があるだけでもいいじゃないかな。僕なんてもう何十年も前からさっぱりになった」
「さっぱり?」
「さっぱり仕事など来なくなったよ」
「ああ、回そうか」
「お願いする」
「うん。僕はもうやる気がない」
「でも、君の代役は出来ないよ」
「ああ、引田君に回すのは、よくある絵だよ。それでいいだろ。原稿料も安いけど」
「ああ、十分だ」
「問題なのはねえ、最近やってる仕事なんだけど、やる気がしない」
「ほう」
「ここんとこ体調が悪いしね。それにもう夢も果たし終えた。のんびり過ごせるだけの蓄えもある」
「じゃ、仕事を減らしたら」
「ああ、徐々に減っているんだけど、まだまだ依頼が来るし、帯ものも多いんだ」
「連載ものだね」
「君に回すのはブックカバーだけど、いい?」
「いい仕事だよ。有り難い」
「丁度書き手がいなくてね。君は器用だから、どんなタッチでも画けるだろ。画家なんだから」
「絵画風でよければ画けるよ。イラストは無理だけど」
「そうだね、君もイラストへチェンジ出来ていれば、今頃大家だよ」
「そうだね」
「しかし、大家になってもつまらん。もう夢を叶えてしまったんで、あとは下るだけでね。これは早いらしいよ」
「でも、もう何もしなくても食べられるんだろ」
「そうなんだけど、何かに憑かれたように画いていたあの頃が一番良かったなあ。そういう憑きものが消えたよ。あれはインスピレーションと言うものだよ」
「富田君は霊が見えるって言ってたから、それと関係するのかな」
「それは若い頃だよ。今はさっぱり見えないよ」
「じゃ、絵を画くインスピレーションと霊感は関係していたのかもしれないね」
「ははは、仕事だと、そうも言ってられないから」
「依頼主の意見を入れなくてはいけないからかい」
「その方が書きやすいからねえ。結局お金のために頑張ってた頃が一番気合いが入ってたよ。食うや食わずの頃はそりゃ必死で画いたよ。だから、インスピレーションもどんどん湧いた」
「もう、食べるための仕事はしなくてもいいんだから、美術学校へ行ってた頃のような普通の絵を画けば」
「それも考えたんだけど、色々物入りでねえ。帯物の支払いもあるから、まだ稼がないと」
「僕は必死で稼がないといけないんだけど、仕事がないので、家の用事をやってる」
「家業、何だっけ」
「傘屋だよ」
「傘」
「ああァ、言ってなかったかな」
「傘」
「どうかしたの」
「傘屋なんて、やっていけるの」
「ああ、駄目だけど」
「修繕などないでしょ」
「たまにあるんだ」
「こうもり傘の張り替え……懐かしいなあ」
「安い傘じゃ駄目だけど、高い傘だと修繕に来る人がいるんだ」
「ほう。じゃ、君は傘の修繕が出来るの」
「家業だからね。子供の頃から見てるから」
「そうなん」
「どうしたんだ」
「傘屋か」
「インスピレーションが来たの」
「そうじゃないけど、何となく羨ましい。傘屋さんが出来るなんて」
「食べていけないよ。傘屋なんて」
「下駄屋でもいい」
「靴屋じゃなく?」
「そんなものが妙に良いもののように思われてしまうんだ」
二人はその後、昔話に花を咲かせた。
引田は城のような家を出たとき、富田が昔と変わっていないことで、安心した。
その後、傘屋の引田の家に電話があった。出版社からだった。富田が絵の仕事を回してくれたのだ。
引田は溜まっていた国民健康保険と国民年金を支払うことが出来た。
了
2014年1月13日