真冬の散歩人
川崎ゆきお
「寒いですなあ」
「冬ですからね」
「それは分かっているんだが、つい言ってみたくなりますよ」
「挨拶代わりですね」
「まあ、そうです。他に言うことがないのでね」
「挨拶だから、それ以上この話題は延びないでしょう」
「北極から冷たい空気がねえ、流れ込んでおりまして、日本だけではなく、アメリカも寒いようですよ」
「ほう、そんな広い範囲の天気図など、天気予報ではあまりやっていないでしょ」
「まあ、シベリアの天気など聞いても仕方がないですが」
「必要のある人もいるでしょ」
「少ないですよ。まあ、世界の天気を気にしないといけない人もいるかもしれませんがね」
「ほう、たとえば」
「穀物関係の取引をしているような業者でしょうか」
「私は近所の天気にしか興味はないです」
「でも、少し遠方へ出掛けられることもあるでしょ」
「まあ、それほどここと変わるような気候じゃありませんしね。それに多少寒くても、それほど影響はありませんよ。暑くても寒くても用事があれば嫌でも出掛けますよ」
「それなんでしょうねえ。現役のあなたと僕との違いは」
「そんな大きな違いはないですよ」
「僕は出掛けるかどうかはその日の気温で決めています。夏は暑すぎると駄目、冬も寒すぎると駄目」
「じゃ、夏も冬も出掛けられないじゃないですか」
「いや、二度か三度の差、場合によっては五度ほど違いがあるのです。だから、真夏でも少しましな日、冬も寒さがましな日があります。この日はチャンスです。出られます」
「何をしに」
「散歩です」
「ああ」
「だから、出掛けなくてもいいような用事なんですが、僕の行動の中ではほぼメインでしてね。一日のメインですよ」
「それは呑気でいい」
「確かにそうなんですが、そのメインが出来ない日が最近続いています。つまり、寒くて出るのが嫌になる日が続いているためです。これは心持ちの問題も大きい。昨日より二度ほど暖かい日があります。これはチャンスですよ。出られますよ。しかし、それでも気が重いわけです」
「出掛けやすい温度まで気温が上がっているのでしょ」
「そうです。昨日よりも遙かにましです。しかし」
「しかし?」
「面倒になるのですよ。暖かい部屋にいると、出るのが」
「ああ、それは朝、布団から出にくいのと同じでしょ」
「そうです。出れば問題はないんだが、出る前がね。それなりの決心が必要なのです。気合いのようなものが」
「はい」
「楽しいことがあるのなら、暑さ寒さも関係ないのですがね、散歩ですからねえ、特に何かがあるわけじゃない。しかし、全く何もないわけでもない。まあ、殆ど何もないのですが、出れば出たなりに、そこそこ気分はいいです。やはり出てよかったと思います」
「それで、今日は出て来られた」
「そうです。すると、あなたの家の前で、あなたが立っておられた」
「いやいや、郵便物を取りに門まで出たのですよ。今日は休みですしね」
「平日なのに休みですか」
「うちの会社、最近週に三日なんです。時間を分け合っているんですよ。昔は残業でよく稼ぎましたがね。まあ、定年後も働かせてもらっているので文句は言えないですよ」
「いやあ、僕は定年までぎりぎりでしたなあ。体が付いていかない。早く退職してゆっくりしたかったです」
「だから、今ゆっくりされているじゃないのですか。天気だけが気になるような生活は羨ましいですよ」
「毎日天気図と睨めっこですよ。予報より僕の方が当たることもある。室内と庭に寒暖計をセットしています。部屋の気温はすぐに見られますが、庭の気温は難しい。寒いので戸を開けたくないのですよ。それに庭に出るのもこの季節、嫌だ。それで、監視カメラをセットしたんです。庭の寒暖計に。それをパソコンのモニターで見るのです」
「凝ったことをされてますなあ」
「計測するのが好きなんですよ」
「なるほど」
「これで、今日は暖かいはずだと確認するのです。だから、散歩に出掛けてもいいと。しかしです、それとは関係なく、多少寒さが緩んでも駄目なときは駄目です」
「何が駄目なのですかな」
「特に原因や理由はないのですよ」
「ほう」
「散歩に行きたいかどうかだけのことなんですね。これはどこから来るかです」
「はあ」
「それは、何か面倒なことをやっていて、その息抜きや休憩でこそ散歩の意味がある。ずっと部屋で休憩しているんじゃ、何ともならないのですよ」
「いいんじゃないですか、そんなどうでもいいことで頭を悩ますのなら」
「いや、悩むようなことじゃないのですよ。どちらにしても真冬の散歩人はプロですよ。これは素人で成せるものではない。上級者の世界です」
「はいはい」
「聞いてますか」
「聞いてますよ」
「まあ、人様に言うほどのことじゃないので、理解してもらおうとは思いませんがね」
「じゃ一寸、用があるので」
「はいはい、引き留めてすみませんでしたなあ」
「いえいえ」
了
2014年1月14日