小説 川崎サイト

 

トイレ怪談

川崎ゆきお


「思い付かないということが、怪談に繋がることがありますなあ」
 妖怪博士が幽霊研究家に言う。別に妖怪と幽霊の対決ではない。ただ、幽霊研究家は幽霊を信じている。妖怪博士は妖怪を信じていない。その差がある。
「思い付かないことが怪談と関係するのですか」幽霊研究家が聞き返す。
 二人はオカルト研究会のシンポジウムに呼ばれ、それが終わった後、控え室で休憩している。その後、打ち上げがあるのだが、まだ間がある。
 妖怪博士が話を続ける。「これは妖怪談として私は処理していますが、幽霊談にしてもかまいません。高層マンションでの怪異です」
「高層マンションに妖怪が出たのですか」
「依頼人の田中さんは幽霊だと言ってます。幽霊が出たと。しかし、まあ幽霊も妖怪も同じようなものなんでしょうなあ。私を呼びました。何も宣伝などしていないのに、よく私の存在が分かったものだと、そのことの方が怪談ですがね」
「どんな怪異ですか、博士」
「何階からが高層マンションになるのかは分かりませんが、その部屋は十階でした。最上階は十二階です。しかし一階や二階の部屋では高層マンションの意味はあまりありませんなあ。まあ、大きなマンションという意味でしょうねえ。住みやすいのは一階でしょ。階段やエレベーターも必要じゃないのでね。ああ、そういう話じゃなかったですなあ。本題に戻ります」
「はい、怪異談の続きをよろしく」
「これはトイレの怪談でしょうかなあ」
「はい、よくあります」
「トイレのドアを開けると……」
「それもよくあります」
「うーむ、似たような話をやるのは気が引けるのですが、いいですかな」
「はい、どうぞ」
「何かが動いたようです。しかも素早く」
「何が」
「それは後ほど」
「はい」
「驚いた田中さんはトイレのドアをすぐに閉めたようです。何かいたわけですからねえ。田中さんは一人暮らしの老人で、夫婦で住んでいたのですがね、夫人に先立たれて何年かなるようです。すぐに仏壇を開け、お経を唱えたそうです。亡くなられた婦人が出たのではないかと思ったのでしょうねえ」
「奥さんは何処で亡くなられたのですか」
「病院です。しかし、長患いで、何年かはマンションにいました。田中さんは看病していたようですが、それほど悪くはなかったようです。しかし、腰が悪くてトイレへ行くのも大変だったとか。これが最大の運動だったようですなあ」
「はい」
「しかし、夫人はトイレへ行くのを楽しみにしておりました。決して楽しいものじゃないのですが、その日の体調を計るバロメーターなのでしょうなあ。そして、楽に行けたときは喜んだようです」
「では、奥さんとトイレとは関係があると」
「それなら、何かがいた気配というか、何かが動くのを見たわけですから、そんな幽霊は……」
「そうですねえ。それは幽霊っぽくありませんねえ」
「そうでしょ」
「それで、何が動いたのですか」
「それが分かれば解決じゃよ」
「ああ、なるほど」
「私はトイレを調べました。結構色々な物が置かれています。トイレと風呂場は別れています。廊下から別々に入れるようになっています。だから風呂場からトイレへは行けない。その逆も同じです」
「はい」
「トイレに本箱のようなものがありました。夫人はそこで読書をしていたのでしょうか。余談ですが、バスルームにも本箱がありました。さてトイレ内には掃除用具などが雑然と置かれています。ゴチャゴチャとね。これは夫人の趣味ではなく、田中さんが一人暮らしになってから、そうなったようです。あまり気にしない人なのでしょうねえ。部屋も雑然としているというか、まあ、散らかっている。出した物を直さないようですねえ」
「それで、動くものを見たわけでしょ。その田中さんは」
「はい、トイレで、何度か見たらしいですよ」
 いきなりドアが開く音がした。二人は驚いた。
「打ち上げの準備が整ったようなので、そろそろ会場へ向かってもらえませんか」
「はいはい」
 ドアが閉まった。
「じゃ、要約して話します」
「いえ、結論だけで」
「そうかい、じゃ、先に正体を明かします」
「はい」
「ドブネズミでした」
「はあ?」
「十階まで上がってこれるものなのですねえ。下水管を伝っての大登山ですよ。便器の中から飛び出たようです。すぐに逃げたようです。風呂場は上がれる管が細すぎるのと簀の子のような蓋があるでしょ」
「じゃ、幽霊でも妖怪でもなかった」
「要は思い付かないようなものの闖入だったわけです」
「あとで、駆除系の手伝いをやっておる人に聞きましたが、蟻なんかも上ってくるらしいですよ」
「小動物の仕業だったのですね」
「どちらかというと、幽霊より妖怪の方に近いでしょ」
「それより、急がないと」
「ああ、打ち上げ、何でしょうねえ」
「え、何がです」
「鍋じゃと思いますがね」
「はい」
「蟹ならよろしいですがねえ。期待しております」
「はい」
 
   了



2014年1月18日

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