小説 川崎サイト

 

晩冬の宿

川崎ゆきお


「番頭さん」
「はい」
「番頭で思い浮かべるのは晩冬でねえ」
「はあ?」
「冬の終わりですよ」
「ああ、晩秋はよく聞きますが、晩冬って生まれて初めて聞きましたよ」
「晩秋は薄ら寒く、もの寂しい。人生の黄昏を感じる。これは日本人好みの心境かもしれない」
「でも、晩冬って、まだまだ寒くなるような感じですよ。冬の終わりなのに。その季節、徐々に暖かくなっているでしょ。春がそこまで来ているのですから、もう少し明るい雰囲気ですよ」
「いや、私は晩冬が好きでねえ。それで毎年この旅館へ泊まりに来るんだ。冬の名残を楽しみにね」
「お客さん、暑がりですか」
「いや、寒がりだよ。しかし、冬は好きなんだよね。終わりゆく冬が特に好きだな。決して春なんて感じていない。春の訪れを楽しむんじゃなく、冬の終わりを楽しむんだ」
「では、どんなおもてなしがようござんす」
「ござんすかね」
「はい」
「それって股旅ものに出て来るようなセリフだね」
「いえ、こうして番頭をやってますと、使ってみたくなるのですよ」
「ほう」
「これが当旅館のおもてなしって、感じですがね。まあ、演出ですよ」
「いやいや、そこまでわざとらしけりゃ、OKだよ」
「ようござんすが、わざとらしいですか」
「悪い気はしないから大丈夫だよ」
「それは良かった。私もそれなりに創意工夫しているのですよ」
「余計なことをしなくてもいいのに」
「おもてなしの心ですよ」
「そんなの旅館なら当然でしょ」
「だから、サービスに心がけますって、意味ですよ」
「サービス業なんだから、わざわざ断らなくても、それで普通でしょ」
「はい」
「この旅館高いんだよね。敷居も高けりゃ値段も高い。これでサービス悪けりゃ怒るよ」
「まあ、そうなんですがね」
「それで、よく聞くけど、おもてなしの心って、どんな心なの」
「これは私の説なんですがね」
「ほう、番頭さんの説かい。聞きましょ」
「宿屋って、泊まるでしょ」
「ああ、まあ泊まるよね」
「お休みになるでしょ」
「ああ、寝るねえ。お殿様のような布団でね。敷き布団が二枚ほどある」
「そのとき意識はなくなります」
「おお、いきなり怖いことを」
「仮死状態に近いですよね。これは無防備だ。だから、命を預かっておるのですよ。宿屋は」
「ほう、そこまで考えるかい」
「これはですねえ、旦那さん、飲み食いよりも大切なことなのですよ」
「しかし、寝ると死ぬとは違うでしょ」
「死体ならいいんですよ。もう守る必要はありません。仮死状態だから、厄介なんです」
「しかし、だからといって命を預かるとは大袈裟だねえ。宿屋としては特に何もしなくもいいんだろ。しっかり眠っているかどうか見に来るわけじゃない。そんなことをすりゃ、逆に邪魔だよね。不審だよ」
「そんなことは致しません。しかし、微妙な状態でおられることは心がけています。だからといって何かするわけではないのですがね。また、枕が変わって寝入りにくいのではないかと、心配したりもします」
「それって、死ににくいってことだね」
「朝起きてこられた姿を見てほっとしますよ。無事に眠られ、無事に起きてこられた。仮死状態から回復されたと」
「仮死状態って、言い方はいけないねえ」
「はいはい、一日一生と言います。お目覚めは誕生のようなものですよ」
「じゃ、赤ん坊の爺さん婆さんもいるか」
「はい、おられます」
「私には分からん」
「これがおもてなしの基本です」
「それはこの旅館の考え方なの」
「いえ、私だけの考えです」
「しかし、まあ、この旅館毎年来てるけど、もてなしがいいのは知ってるよ。サービスがいい」
「あのう」
「何かね番頭さん」
「値段が値段なので、そりゃもてなしますよ」
「そうなの」
「安けりゃ、もてなしませんよ」
「じゃ、おもてなしの心って、お金の心かい」
「はい。実は当方が、もてなされているのですよ」
「え、もてなしてるのは客かい」
「だから、いますよ。もてなされ上手なお客様が」
「しかし」
「何でしょう」
「一番のもてなしはねえ」
「はい」
「こうして話に付き合ってくれることかな」
「それは、暇なので」
「客が少ないの?」
「春まで客は少ないです」
「じゃ、晩冬は狙い目だったんだ」
「はい、暇なので、いくらでもお相手出来ますよ」
「それは有り難い。番頭さん」
 
   了



2014年1月22日

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