小説 川崎サイト

 

生涯現役

川崎ゆきお


 青木は世話になった会社の先輩を訪ねた。親子ほど年が違い、今は退職し、一人暮らしだ。
「毎日何をしているのですか」
「ああ、毎日ねえ。もう辞めてから十年になるかな。すっかり老けたでしょ。君とは五年ぶりだったか」
「いえ、去年の今頃にも来てますよ」
「ああ、そうだったか、忘れたよ」
「その後、順調に行ってます」
「もう人も変わったでしょ。私がいた頃の連中も、もう辞めている。だから、古い話になるので、あまり役には立たないよ」
「そうです。社長も代わり、知らない人が来てます」
「その人、私も知らないよ」
 青木はこの先輩から、色々な社内事情を聞き、それを役立てていた。いわば情報収集なのだ。
「ところで、毎日何をして過ごしているのですか」
「ああ、私自身のことかね」
「そうです」
「そんなことを聞いても役立たないよ」
「今日は、それが不思議で」
「君はまだ定年まで、まだまだある」
「少し興味がありまして。何をして過ごされているのかと」
「ああ、特に何もしていませんよ。寝て起きてご飯を食べて、それだけですよ」
「それって、退屈しません?」
 老人は、いつもと違う話になっているので、少し不審がった。
「どういう意味かね」
「いえ、そう思ったので」
「今日は、何か別の頼みでもあって来たのかな」
「いえ、特に何もありません」
「不思議だな、その方が」
「はいっ?」
「もう情報的には役立たない人間だよ。私がいた頃の、君の周囲の人間に関しては、もう既に話しきった」
「はい、非常に参考になりました。誰と誰が仲間で、誰と誰が、どの人脈と繋がっているのかなど、役立ちました」
「だったら、もう終わりでしょ」
「はい、そうなんですが、先輩を見ていると、新入社員の頃を思い出すのですよ。初心に戻るって感じで」
「去年も来たと言ったねえ。私はすっかり忘れていたが」
「はい、あの時も、目的は今日と同じです」
「そうだったか、そう言えば、しかとした用事がなかったようでしたねえ。そのため、忘れてしまっていたんだろう」
「初心に戻れるのです。先輩に会うと」
「あ、そうなの」
「一から仕事を教えて貰いました」
「そりゃ、仕事だから、当然ですよ」
「仕事好きな先輩が、退職後、退屈じゃないかと、ふと思ったのです」
「ほう」
「先輩から仕事を取れば何が残るのかなあ、と急に思ったのです」
「思ったかい。まあ、思ったことは仕方がない」
「はい、だからどんな状態なのです?」
「そうだねえ、私から仕事を取れば何も残らない。だから、何もしていないよ」
「それで、一日持ちますか」
「ああ、一日が早いよ。特に何もしなくてもね」
「一日中、この家で過ごされるのですか」
「たまには外に出るし、旅行にも出るし、飲みにも行く。軽くハイキングもするしね。まあ、どれもこれもしなくてもいいことなんだけど」
「そこです」
「ん、何処だ」
「しなくてもいいことが出来るというのはどういう心境になるのでしょうか」
「妙なことを聞くねえ。そんなこと、役に立たないでしょ」
「将来、僕もそうなるのかと思うと、一寸気になります。きっと先輩と似たような未来になると思うのです」
「未来とは大げさな。それに私は仕事を辞めたが、それは食っていけるだけの退職金や貯金があるからだよ」
「先輩が退職した頃はいい時代でしたから」
「じゃ、君は辞めてからも仕事をやればいいんじゃないのかね」
「そうですねえ。悠々自適に暮らせそうにありません」
「そうだね、うちの会社も君が退職するまで持つかどうか、怪しいしね」
「はい」
「年を取ってからも続けられるような仕事を今から見付けておくのもいいかもしれませんよ」
「はい」
「若い頃や脂の乗っている頃には出来ても、年取ると出来なくなる職種もあります。まあ、プライドが許さない仕事もありますしね」
「はい、それで、今から内職を考えています」
「会社勤めをしながら、内職など考えないといけない時代なのかい」
「だから、先輩が羨ましいです。特に何もしなくてもいいし」
「まあ、稼ぐ気がなくなれば、あまりドタバタしなくなりますよ」
「でも年取ってからも稼がないといけない場合、ドタバタし続けることになりますねえ」
「そのうち身体が付いて来なくなるから、諦めますよ」
「はあ」
「内職を考えながらじゃなく、その内職で独立するのもいいかもしれませんよ。ただし私は無責任だ。それも方法だと言ってるだけで、それが良いとは言ってませんからねえ。そこは君が判断しなさい」
「内職を本職にですか」
「まあ、成功は難しいかもしれませんよ」
「はい、一応やってみます」
「生涯現役もいいですが、食べられるのなら、働く意味があまりありませんよ。その仕事が好きならいいけどね」
「はい、生涯現役のため、今から準備します」
「まあ、人間現役だけでも十分ですがね」
「人間現役ですか」
「冗談ですよ。まあ、内職頑張りなさい」
「はい」
 
   了



2014年1月23日

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