小説 川崎サイト

 

老人と映画青年

川崎ゆきお


「最近映画を見ますか?」
「いきなり何ですかな」
「映画監督を目指しています。だから、自分でも撮ってます」
 ファストフード店のカウンターで、隣同士で座っていた青年と老人の会話だ。
「色々と様子を知りたいのです」
「様子」
「ああ、どんな映画を見られるのかなあと」
 老人はいつもの二階席にあるカウンターから窓の外を眺め、ぼんやりとしているのだが、たまにはこういった会話も発生する。見知らぬ人から話しかけれることはあるが、それは軽い挨拶程度で、映画についてどう思うかなどというようなまとまった内容ではない。
「最近見てませんなあ」
「映画館に行くことは?」
「ないですなあ。この町にも映画館が沢山あった時代には、毎週行ってましたよ。暇なときは週に二回。土曜はオールナイト。しかし、もう全部潰れましてねえ。映画を見るためには都心部まで電車で行く必要があります。それだけのために出掛けるのは面倒ですねえ。いい映画をやっているかどうかもよく分かりません。昔はですねえ、新聞を見れば分かったのですよ。特に夕刊はね。大きな広告が出てましたからねえ。それに映画館案内がありまして、今何をやっているのかを毎日チェックしていましたよ。それに街を歩いていると、町内にも映画のポスターが貼られていましたからねえ。それが二週間に一度ほどで貼り替えられるのです。ああ、それで二週間経ったのかと思ったりね。また映画館の数ほどポスターがありましたよ。私はピンク映画のポスターが気になりましてねえ。たまにヌードショーのポスターもありました。これはねえ、いつもの場所じゃなく、いきなり電柱に貼られているのですよ」
 老人は一気に喋りすぎたようだ。映画青年もその長回しを許したようだ。
「では、今よりは映画に接する機会が多かったのですね」
「全部知ってましたよ。映画五社と言いましてねえ。その五社、今何をやっているのかは確実に把握していましたよ。シリーズ物なんかも多かったですねえ。全部見るのは時間的に不可能ですが、映画が今どのような風潮になり、どういうものがはやり始めているのかは、ポスターだけでも分かりましたよ」
「お爺さんは映画好きだったのですか」
「いやいや、娯楽が映画ぐらいでしたからねえ。それに一番怠けられる娯楽なんです。座ってりゃいいんだし、しばしあっちの世界に浸れますからねえ。映画五社はですねえ。二本立てなんですよね。そのうちの一本はおまけのようなものですが、こちらのほうが面白かったりします。見たい映画だけではなく、見たくない映画も入ってます。これはアテモノのようなものでね」
「アテモノ?」
「ああ、クジのようなものですよ。引いてみるまで、映画なら見てみるまで分からない。しかし、まあタイトルや俳優で大体分かりましたがね。内容が」
「映画監督名では見ないのですか」
「監督の名前で知っているのは黒澤明かなあ」
「他の監督は」
「そのときは覚えているのですが、すぐに忘れます。しかし、よく見かける監督はいますよ。名前だけですがね。ああ、またあの人の映画だったのかと」
「それで、最近は見に行かれないのですね」
「そうですなあ。刺激が強すぎるんですなあ。その刺激は受けたくない」
「はい」
「いつ頃から映画を見なくなりましたか」
「さあ、いつの頃からでしょうかなあ。暇を持て余していた若い頃だけでしょうかなあ」
「刺激の強いのが苦手だとおっしゃいましたが」
「画面がうるさいのは駄目ですねえ。目が付いていきません」
「はい」
「映画は見なくなりましたが、テレビはよく見ていますよ。映画もやったますしね。テレビドラマは映画より緩いので見やすいです」
「はい、参考になりました」
「君も映画を作りのかね」
「はい」
「じゃ、将来が映画監督だ」
「自分でも短いのを何本か撮ってます」
「そうなのか」
「はい、でも大きな劇場で掛けたいです」
 老人は名刺を渡す。
 青年はその名刺をじっと見ている。この老人こそあの有名な映画監督だったと言うことではない。
「この名刺は何ですか」
「だから、君の映画、何処かで掛かったとき、知らせてくれ。見に行くよ」
「ああ、そうですか。連絡します」
 青年はそう言ったものの、上映している小屋はライブハウスやフリースペースがばかりで、この老人が座れるような場所ではない。きっとこの老人はしっかりとした大きさのあるスクリーンで、映画館用の椅子でないと、納得出来ないだろうと思った。
 それに、自分の映画はこの老人が見てもよく分からない映画だと思えた。見終わったあと、決して「楽しかったよ」とは言ってくれないだろうとも。
 
   了


2014年1月26日

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