小説 川崎サイト

 

訪問癖のある男

川崎ゆきお


 木下は引き籠もっている友人を訪ねた。これは趣味で、興味本位だ。そういう人と合っていると妙に落ち着く。これは木下にも問題があるようだ。
 その友人、佐々木はボロアパートに住んでいる。バス停からアパートまでの沿道が木下は好きで、ここを歩くだけでも楽しい。つまり、佐々木のことなどさほど心配していない。一種の娯楽だ。
「訪ねて来てくれたの」佐々木は表情に乏しいが、喜んでいると木下は勝手に合点した。
 部屋はよく整理され、掃除も行き届いている。
「トイレを借りるよ。冬場は寒いので冷えるんだ」
「ああ」
 木下はトイレに入る。ここも綺麗だ。便器の汚れもない。こんな友人がどうして引き籠もっているのだろう。仕事があれば、その几帳面な才能を生かせると思うのだが、逆にそれが足を引っ張っている可能性もある。
「久しぶりだよ。人と話すのは」
「そうかい。でも言葉は忘れていないようだね」
「ああ、幸いね。しかし声を出して喋るのは久しぶりなので、喉や舌の使い方を忘れかけていたよ」
「そこまで重症にならないでしょ」
「ああ、大げさだけどね。まあ、店に行けば声を出すし、セールスが来れば対応しているんで、声は出しているよ。最低限のね」
「今日は考察に来た」
「え、何の」
「引き籠もりと世界観についてだ」
「大きなネタだね、木下君」
「人間関係と世界観についてだ」
 木下は、この種の話に乗ってくれる友人はあまりいない。しかし、佐々木は別だ。話題は何でもいいようで、会話になればそれでいいらしい。
「誰かが入って来るんだよね。それで世界に何かが発生する」
 さすがに、いきなりややこしい話になったので、佐々木は目をぱちくりさせている。
「どういうこと」
「他人が入り込むんだな。これは自分が作ったり考えたことより、他人が作ったもののほうが入り込みやすい。つまり、他人の欲望の方が満たしやすい。どうだい」
「どうだいって、難しい話だよ」
「じゃ、結論を先に言うと、人と多く接している人の方が、色々な欲望を抱きやすい。他人の欲望を横取りしたい欲望があるためだ」
「そんな欲望があるの」
「あると、僕は踏んでいる」
「ふーん。それで」
「だから、世界観の広さとは、友人知人が多くいて、それら個々の人々の世界を共有していることだ。自分一人じゃ狭いからね。他人も自分の領地にしているようなものかな」
「早すぎるよ。木下君」
「ああ、どうせウダ話だから、適当でいいんだ」
「それより、何を飲む」
「え」
「だから、飲み物が必要だろ」
「何でもいいよ」
「熱いお茶か、コーヒーでいいかな。紅茶も出来るけど」
「紅茶」
「紅茶がいいの。分かった」
「これなんだよ。僕は紅茶を飲まない。いや、飲むことは飲むけど、敢えて飲もうとは思わない。しかし、嫌いなわけじゃない。そしてコーヒー党でもない。紅茶を飲もうかと思ったのは、君が紅茶を飲む人のためだ」
「そうだね、僕はコーヒーより、部屋にいるときは紅茶が多いねえ。まあ、ずっと籠もっているので、紅茶ばかりだけど」
「だから、紅茶は君の世界なんだ。その影響を今、僕は受けている。紅茶世界が開く。そう言うことだ」
「じゃ、茶葉はこちらで選ぶけどミルクとレモン、どっち」
「レモンはないだろ」
「ない」
「生クリームは」
「ない」
「じゃ、牛乳か」
「いや、僕は何も入れない」
「そうか。それが言いたかったのかな」
「それで木下君、これはどういう世界観に繋がるの」
「うーん、考えてなかった。来るとき思っていたことしか僕は吐き出せないんだ。シナリオがないとね」
「要するに木下君は、僕にもっと人と交流した方が豊かになるって言ってるのかな」
 木下は友人知人が多い。しかし、それで色々と豊かになったかというと、そうだとは言い切れない。ある事柄に対し、否定する人と肯定する人がいるためか、相殺されることがある。多様さは豊かさなのだが、結構曖昧な話になる。何とでも言えるような世界観になってしまった。
「豊かかどうかは別にして、動きやすくなるよ。なぜなら、他人の欲望を果たす方が動きやすいから」
「じゃ、豊かな世界観じゃなく、動きやすいからかい」
「うん、まあ、そうかな」
「なるほど、僕は引き籠もっているのは、そのためかもしれないなあ。人の影響を受けたくない。でも人が少ないと自分のことで神経をすり減らしてしまう」
「それは地縛霊タイプだ」
「そんなタイプがあるの」
「ないけど」
「ふーん」
 その後、結局熱いお茶を何杯か飲み、高そうなクッキーを食べ、とりとめのない雑談で始終した。
 佐々木が疲れてきたようで、乗りが悪くなったのを見計らい、木下は帰ることにした。
「また来てよ。木下君」
「ああ、今日は君の世界を吸収した。しばらく大人しく部屋にいることも心がけることにする。何だか君の暮らしがよさそうに見えたので、それを横取りするよ」
「そうかい。木下君もお茶会をやればいい」
「でも、しばらくすると別の友人の世界観が入ってくるので、また来るよ」
「ああ、気が向いたら来てね」
 木下はボロアパートの腐ったような木の階段を降りた。これがお茶のように香ばしく感じれた。
 そして、特に感想はない。次の友人宅を訪ねるためだ。これは引き籠もりとは逆方面だが、これはこれで問題なのだ。
 
   了

 



2014年1月27日

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