小説 川崎サイト

 

偶然の賜物

川崎ゆきお


「過激なものばかり見ていると、穏やかなものに目がいきますねえ」
「そうなんですか」
「まあ、個人差もあるだろうが、わしはそうだ」
「僕もありますよ。とんがったことばかりしていると、緩いものに目がいきます」
「反動と言えばそれまでなんだが、これは振り子のようなものかもしれないねえ」
「大きく振れば、大きく戻るわけですね」
「その真ん中がある」
「はい」
「しかし、真ん中にいては振り子時計は動かない」
「ああ、なるほど」
「ブランコで、じっと座っているようなものだ。あれは揺れるから楽しい」
「強く振ると危ないですよ。反転しそうになったり、投げ出されると着地が大変です。背中から落ちたりとか」
「だから、快い振り幅、揺れ幅があるんだろうねえ」
「それは分かるのですが、のんびりしているときほど、大きな動きに出たいです。当然その反対もありますし」
「程良い振り幅なら、そのままでもいいのかもしれない」
「でも揺れていることは揺れているのでしょ」
「止まらない程度にね」
「そちらのほうが難しかったりしますよ。バイクも自転車も非常に遅いスピードの時の方がバランスを取るのが大変です。ある程度スピードに乗った方が安定していますから」
「そうだね。だから、振り幅が安定しているより、多少乱れている方が好ましい」
「はい」
「なぜなら、色々な都合で、急に揺れることがある。強い振りが加わることがある。だから、たまにはその強い振りを何度か日頃からやっている方がいい。いきなりだときついだろう」
「強くもなく弱くもなく、また、強くもあり、弱くもある状態ですか」
「ああ、それは普通だろうねえ。特に心がけなくても、そんな状態ではないのかね」
「そうですか」
「しかし、年を取ると、振り幅が減るねえ」
「それは安定していることになりませんか」
「ああ、まあ、そうなんだが、ドタバタしないだけのことかな。やっても同じようなものだと、それほど動かない」
「それでチャンスを失うこともあるでしょうねえ」
「チャンスというか、どさくさ状態で、意外な偶然に遭遇し、思わぬものを得られることがある」
「僕はそちらのほうがいいです」
「善い偶然、巡り合わせ、これは大事だ。殆どそれで決まると言ってもいい」
「犬も歩けば棒にあたるですね」
「偶然には必然性はない」
「そうなですか」
「だったら、偶然などないじゃないか」
「そうですが、やはりそれなりの準備や心がけで、善い偶然を呼び込むのじゃないのですか」
「そうではない。それは必然で、偶然ではないからな」
「では、偶然とは」
「運だな」
「じゃ、何もしなくてもいいのですね」
「善い運もあれば、悪い運もある。だから、結局は決定打はない」
「何かをしても、何もしなくても、運や偶然は、それらに関係なく訪れると」
「それが決定打だ。それまでの小賢しいことなど、関係なくな」
「師匠が今ここにいるのも偶然の賜物なのですか」
「そうじゃ、わしより偉い人間は一杯いたよ」
「一杯」
「ああ、沢山だ。ライバルが多ければ、この座には就けなかった。偶然人材がが底を突いていた時期があってなあ。そのとき、わしがいた。それだけのことでな。徳が高かったわけじゃない」
「あ、はい」
「それを考えると、運だなあと思うのじゃよ」
「はい、何かやる気が失せる話ですが、それが現実なのですね」
「それでわしは今も思う」
「何でしょう」
「結局、よう分からんとな」
「あ、はい」
 
   了



2014年2月6日

小説 川崎サイト