秋の陽は落ちるのが早い。そう児玉は思ったのだが、そうではなく、空が暗いのだ。雨雲が遮光カーテンのように町を暗くしている。そして雨が垂直に降り続け、白い靄がかかっている。
早退した児玉は帰途を急いでいた。本当に体調が悪くなり、会社を抜けてきた。いつもの仮病とは違い、足取りが重い。
元気がないのは体調の不都合で、どこが悪いのか自分でも分からない。そのためいつでも仮病に化けることが出来るのだが今日は違っている。
住宅地の道沿いには何もない。ただただ家があるだけで休憩する場所さえない。休めるような公園があってもこの雨ではベンチは濡れている。
「仮病を使い過ぎて本当に病んだのかもしれん」
児玉は心配になってきた。目の前が暗くなってきたのは雨雲のせいかもしれないが、本当に夜のような暗さだ。
「街灯がついてる」
暗くなったので自動で水銀灯が灯っていた。空が本当に暗いことがこれで証明されたわけで、児玉はほっとした。
ふっと前を見ると着物姿の女が現れた。いきなり顔が分かる距離にいるので驚いた。
雨の中、傘も差さず歩いてだけでも普通ではないが、着物姿も不思議だ。
「ここは暗闇峠」
児玉にはそう聞こえた。
女は真っ白な顔で流し目を二度三度繰り返す。
児玉は無視し、通り過ぎた。
「ちょいとお兄さん」
何かの事情があるのだろうが、児玉は乗る気分にはなれない。早く帰って横になりたいからだ。
「休んでいきなよ」
休むという言葉に児玉は反応した。
「近いのか?」
「すぐそこ、この裏だよ」
「体調が悪い。横になれるか?」
「それはいけないねえ」
「いけないとは駄目ということか?」
「お兄さんの体を気遣ったのさ」
「のさ……か」
女は先に歩きだした。児玉はついて行く。
住宅地の中に古めかしい木造二階建ての大きな旅館が迫ってきた。格子窓から橙色の明かりが滲んでいる。雨のためか点滅しているように見える。
中に入ると大勢の客で賑わっており、児玉の姿を見た女が駆け寄ってきた。
「ここは……」
了
2006年11月29日
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