小説 川崎サイト

 

フォークライブ

川崎ゆきお



 谷垣は雪降る町を歩いている。滅多に雪など降らない都市だ。歩道にも積もっている。これはすぐに溶け、じゅくじゅくの足元になるだろう。そこで谷垣は地下街へ降りた。こちらの方が暖かい。
 朝、雪が積もっているのを見て、谷垣は都心部へ出たのだ。その気持ちが今でも分からない。出掛ける用事などない。あるとすれば「雪」だ。雪を見て、出たくなった。
 出掛けたのはいいが、何処へ行けばいいのか分からない。それでいつもの散歩コースではなく、数年前まで毎日通っていた通勤路に乗った。それに乗れば都心部に出てしまう。ほぼ自動的に。
 定期券はもうないが、カードが残っており、それで改札を通過した。
「これはどういう行為だろうか」と、少しは考えたのだが、考えよりも思いの方が強いらしい。この場合の思いとは「雪」なのだが、それほどの思い入れは雪にはない。
 谷垣を動かしているのは、何かよく分からない。きっと何らかの感情だろう。それが何であるのかと考えながら、来た電車に乗った。
 そして、思い出した。雪について。雪が絡む思い出を。
 それは大晦日の夜、行きつけの小さなライブハウスで過ごしていた。店は十二時前に閉まったが、客は残った。そのまま朝まで飲み会になる。
 残った客は谷垣もよく知っているメンバーだ。マスターが酒瓶をテーブルにぽんと置き、酒宴となったが、何となく、その雰囲気を谷垣は嫌った。その人たちとの折り合いが悪いわけではない。しかし、その馴れ合いが嫌だった。こんなところで埋もれ、こんな仲間内だけの世界で満足したくなかったのだろう。
 そして、日が変わる前に北国行きの列車に乗った。雪が見たかったのだ。
 そんなことを谷垣は思い出した。雪に引っ張られて何かをするというのは、これぐらいしか記憶にない。
 そして今、地下街を歩いている。やはり寒いし、雪の歩道が面倒なためだ。それにこの都市の中心部は地下へ潜る人の方が多い。地上よりも便利なためだ。当然だが、車は走っていないし、信号もない。
 雪に引っ張られて来たのだが、これでは意味がない。しかし、ここまで来てしまうと、もう雪のことなど頭から離れようとしている。
「さて、どうするか」
 まだ、午前中だが、朝のラッシュは終わっているので、地下街を歩く人もまばら。買い物に来るにはまだ早い。準備中の店もある。
「また、中途半端なことをしてしまった」
 谷垣はそう思いながらも、何らかの引っかかりを探した。今、この状況にふさわしい行動があるはずだ。
「映画でも見て帰るか」
 以前なら、その手も使えたが、それなら、部屋でも出来ること。それに昨夜は二本ほど映画を見た。
 あの頃のライブハウスはもうない。その後、別のライブハウスに行くようになったが、どの店も馴染めなかった。やはり、若い盛りに通った店とは訳が違うのだろう。谷垣は年を取り過ぎた。
 地下街を彷徨っていると、メイン通りから外れ、狭い通路が入り組んでいるような場所に出た。以前地上にあった店が取り壊され、地下街にテナントとして入ったのだろう。しかし、その殆どはシャッターが閉まっている。まだ早いからではなく、閉まりっぱなしなので、シャッターそのものが動いていない。埃が溜まっている。
 その奥に、開いている店がある。チケット売り場だろうと最初思ったのだが、近付くとギターを持った長髪の男が立っている。ポスターだ。顔を見るが、誰だか分からない。サングラスを掛けている。ギターはフォークギター。その下に文字が見える。ライブだ。
 谷垣は、その店のドアを開ける。こんな早くからライブなどしていないはずだが、人の背中ばかりが見える。その奥にあの男がいるらしい。椅子に座り、そこだけにスポットライトが当たっているようだ。
「飲み物付きです。立ち見になりますが、いいですか」と若い店員が缶ビールを差し出す。
 谷垣は支払う。
 人垣でステージがよく見えない。それをかき分け、隙間から覗き込むが、椅子だけがある。
 ポロンポロンジャーンポロと、ギターの音。
 しかし歌っているはずの長髪でサングラスの男はいない。椅子から離れたところで歌っているのかもしれないが、声が聞こえない。
 では、ギターの演奏だけなのか。だが、歌詞の合間に鳴るような演奏なので、曲さえ分からない。
 谷垣は怖くなってきた。
 朝、雪に誘われ、引っ張られたのは、これだったのかと、解釈した。ここへ引きずり込まれたのだ。
 谷垣はポロンポロンジャーンポロというだけの演奏を聴きながら、缶ビールを口にした。しばらくすると、酔いが回ってきた。
 それは大晦日の夜、列車に乗り、雪国へ向かったときのビールと同じ酔いだった。
 
   了



2014年2月13日

小説 川崎サイト