小説 川崎サイト

 

行かなかった場所

川崎ゆきお



「行かなかった場所について考えていた」
 長老は厳かな声で語り始めたが、この人は若い頃から、そういう声だ。
「行かなかった場所の方が多いのではありませんか」長老の庵に来ている幹部が言う。
「どういうことかな」
「考えなくても分かりますよ。世の中、行っていない場所の方が多いです。旅行などでもそうでしょ。ある観光地を訪ねても、省略した場所もあるでしょ。時間がないとか、そこからは遠いとか」
「君はごねるねえ」
「いえいえ、そうではありません」
「きっとそうだ。何故そう逆らう」
「普通です」
「そうだったかな、それが君の気性だったか、しばらく来ないんで忘れていたよ」
「名所旧跡近くで食事をとるとき、入らなかった店の方が多いでしょ。何軒も並んでいる中の一軒を選ぶ。それ以外は行かなかった場所です」
「そうでなく、ここでは行けるが、行かなかった場所だ」
「そこは気に入らないので、行かなかったのでしょ。行きたければ行けた」
「それそれ、それを言っている」
「はいはい」
「行きたい行きたいと思いながら、行けなかった場所もあるし、行けるのだが、行きたくない場所もある。最近そのような場所が気になってなあ。今から行ってももう終わっていたりするし、なかったりする」
「パーティーなんかがそうですねえ」
「そうそう、そう言うことだ」
「僕もこの庵に行きたい行きたいと思いながら、なかなか行けませんでした」
 長老は笑顔を見せる。なぜなら今日は来ているのだから、来れないまま放置したわけではないからだ。それほどこの長老は人気がなく、勢いもなく、訪ねる人も少ない。
「僕は今日、この庵を訪ねたのは、暇だったからですが、たまには顔を出したかったからです。ずっと気になっていましたし」
「よしよし」
「もう少しで行かなかった場所になるところでした。そして、何度も何度も行かなかった場所となりました。顔を出そうと思いながらも、忙しくて、スケジュールが取れなかったのです」
「今日は優先的にここを選んでくれたのだな」
「何も入ってませんでしたから」
「ここは暇庵と呼んでおるのを知ってるか」
 幹部は、下を向いて苦笑した。
「その笑いは何だ」
「いえ、長老もご存じだったので」
「まあな」
「ここは行けなかった場所、行かなかった場所のまとめ行きなのです」
「まとめ行き?」
「行けなかった場所の代表として、行けない詣でとしています」
「なんじゃそれは」
「忙しくて行けなかった席が幾つもあります。それらの供養です。ここで、全ての非礼や悔やみを洗い流すのです」
「君」
「はい」
「ここはそういう場所ではない。幹部としてたまに顔を出すだけの場所だろ。もうここはサロンではなくなっているがな。ここに来たというだけで、義理堅いに人間と見られるはず。決して来て損はない」
「はい、そうなんですが、ご機嫌伺いは本当です」
「では、行けない詣でとは何だ」
「ご機嫌伺いと共に、行けなかった過去の供養もついでに果たすためです」
「君は相変わらずごねるねえ」
「屁理屈じゃありません。正直に僕の気持ちを伝えているだけです。先生もなされては」
「何を」
「ですから、行けなかった場所が多くあると思っておられるのでしょ」
「あるが、では、何処へ行けばいい。そのまとめ詣でのような……」
「それは先生の先生を訪問されればいいのでは」
「もう鬼門に入っておる」
「ああ、そうでしたねえ」
「しかし、行かなかった場所は、敢えて行かなかったんだ。行ってやるものかと思って行かなかった。悪いことをした」
「悔やんでいますか」
「いやいや、行っておれば面倒なことになっていたかもしれない。だから、行かなかったんだ」
「それは、よくあることですよ」
「そうだな」
 その後、幹部は小一時間ほど世間話をし、この派閥の長老のご機嫌を取った。
「では、このあたりでお暇を」
「ああ、よく来たなあ」
「はい」
「それで、落ちたかな」
「はい、効きます。他の非礼も落ちました」
「うむ」
 
   了


 




2014年2月17日

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