小説 川崎サイト

 

過去に生きる

川崎ゆきお



「年を取ると過去に向かうというのは本当ですか」
 若者が年を取っている人に聞く。
「いきなりだねえ」
「あ、知っているお年寄りに聞くのは、失礼なので」
「じゃ、私ならいいとでも」
「知らない人の方が言いやすいことがあるでしょ」
「ああ、あるねえ。ここで話しても、後腐れがない。その後の影響がないからねえ。おそらく君とはもう二度とは会わないだろう」
 二人はフェリー乗り場で話している。
「それで、本当ですか」
「過去に、何だった?」
「過去に向かうと」
「ああ、それだけ思い出を多く持っているからねえ。ストックが豊富だよ」
「記憶量だけの問題ですか」
「感傷的な意味合いもあるねえ。昔はどうだったかとよく思うよ。昔なら、こうして、こうやって、というふうにね。それを過去に向かうというのかねえ」
「そうですねえ。経験豊富だと、それだけ多くの情報を持っていますから」
「まあ、経験は未来のために活かす。これはそんな大袈裟な意味はないが、目先のことや、明日のことや、その先のことに向かうためだよ」
「じゃ、過去に向かうというのは」
「ああ、それはねえ、私も年寄りだが、よく分からん。昔のようにしてみたいというのは多少あるねえ。慣れ親しんだ頃のね。物事が新しくなると、慣れんからねえ。慣れれることもあるが、何か今風なものはちゃちだ」
「ちゃち?」
「そんなことでいいのかと思うほど、重さがない。深みがない。軽いんだねえ」
「だから、その時代に戻ろうというのが、過去に向かう。過去に生きるということですか」
「そんなことを思っても世の中全体が戻ってくれないと駄目だろう。それに何処まで戻るかだ。石器時代まで戻るかね」
「あ、はい」
「だから、楽しかった時代に戻りたいとは思うが、その頃、楽しかっただけではなく、嫌なこともあった。だから、もう二度とあの時代を通過しようとは思わないよ。一回切りだから、出来たのだ」
「じゃ、過去に向かうとは何でしょうねえ。僕も年寄りになると、そう思うようになるのでしょうか」
「さあ、それは個人差があるのかもしれないね」
「はい」
「ただ」
「何ですか」
「少しだけ思い当たることがある」
「過去に向かう例ですね」
「そうだ。それはね、子供のころ出来なかったことが沢山あった。青年時代も中年時代もそうだけど、その続きをやってみたいと思うよ。ただ、今やれるかどうかは分からないがね。その中で出来ることがあれば、それを楽しみたい。あくまでも楽しみでだよ。私は山が好きだったんだが、仕事が忙しくて、山歩きをする暇がなかった。登山じゃないよ。簡単な山だ。ハイキングコースや里山だねえ。そのコースには温泉が複数あってねえ、そこまで歩いて行くんだ。これはやろうとしていたけど、結局出来なかったなあ。一泊付きの山歩きだからね。時間がない。それに家族もいるから、一人でそんな孤独なことは出来んよ。勝手に一人で旅行なんてね。しかし、この場合、一人旅がいいんだ」
「ああ、趣味のようなものでは過去に向かうという意味ですか」
「体験出来なかった過去。日記に書き込まれなかった過去だよ。ただそれは生き方とはまた違う。生きているときのおまけのようなものだよ」
「非常に参考になりました」
「実はフェリーに乗って、これから行く先は、二十歳の頃の続きなんだ。いつかこのフェリーであの島へ行こうとね。いつもは山だった。海や島が気になっていたんだ。」
「そこは僕の故郷なんです」
「あ、そうなのか」
 アナウンスがあった。
「もう乗船していいようですよ」
「そうか、じゃ、行きましょうか」
「あのう」
「何かね」
「何等ですか」
「特等だ」
「個室ですねえ」
「ああ、時間がかかるからねえ。ゆっくり眠りたいんだ」
「それは二十歳代の時に思っていたことですか」
「いや、今だ」
「あ、はい」
 
   了





2014年2月22日

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