小説 川崎サイト

 

ふと思い浮かぶこと

川崎ゆきお



 ふと思い浮かぶ。
「それは何でしょうねえ」
「ふと思い浮かぶことがですか」
「私は色々な判断を下しているのだがね。日によって違うんだ」
「課長の判断で、仕事の流れが変わります」
「ああ、だから、妥当な判断をいつも下しているつもりだけど、たまに気分的に決めてしまうことがある。これは言っちゃあいけないことだけど」
「課長のところに来る業者ですが、色々と誘惑があるでしょう」
「袖の下は取れないよ。当然だろ」
「それはもう業者たちも分かっていますから、そんな反則はしないと思いますが、ご機嫌取りはするでしょ。印象の良さで上手く行くかもしれませんしね」
「いや、そんな業者は最初からパスだ。逆効果だね」
「しかし、課長の判断はいつも公平で正しいと評判です」
「そうでもないんだよ。結構気分的なんだ」
「そうなんですか」
「ふと思い浮かぶ」
「はあ」
「ふと思い浮かぶんだ。判断を下すときにね。これは何だろうかと思うんだ」
「難しい話ですか」
「難しいも何も、頭の中に、そういうものが湧き出して来てね、その流れに沿いたくなる。乗ってみたくなる。意識的じゃないけど、それが意識に上るんだ」
「はあ、何の話でしょうか」
「だから、判断するとき、ある雰囲気に包まれるんだ」
「怖いものですか」
「怖くはないよ。君」
「はいはい」
「それは何処から湧き出すのだろうかと、考えたことがある」
「何処からでした」
「分からない。いきなりだ。いきなり昔の歌謡曲が流れ出したりする」
「やはり、怖いじゃないですか」
「いや、だからその手前で、その歌謡曲を連想させるものを見たり聞いたりしたんだろうねえ。それはすぐに消えるがね」
「じゃ、いきなりじゃないのですね」
「そうだね。きっかけとなるものが先にある」
「それは何でしょう」
「だから、机の上に置いてある煙草の銘柄をふと見たとき、その銘柄から連想されるものが上がってくる。すると、その劇が始まるような感じになるんだねえ」
「げ、劇ですか」
「それは適当な言い方じゃないけど、小さな劇が片隅で起こるんだよ」
「それはお病気では」
「いやいや、子供の頃からそうだったのでね。それにその影響はない。他のことを思っているようなもので、幻覚でも幻視でもない」
「それが、ふと思い浮かぶのですね」
「そうそう。それが浮かんでいるときに、何かの判断を下すときがある。それが浮かんだから判断するんじゃないよ」
「要するに、そのときの雰囲気で、判断も変わると言うことですか」
「そうだね」
「それは、業者の態度が影響していませんか」
「していない。それとは別のところのものだろうねえ。だから、好印象でも悪い印象でも、業者のそれではない。無関係だ」
「しかし、課長の判断はそんなに波はありませんよ。安定しています。突拍子もない判断をされない。なのに、気分的なのですか」
「いやいや、だから、そのふと思い浮かぶ気分的なものはそれほど影響力はないのだよ。それにつられて思わぬ判断を下すようなこともない」
「やはり、難しい話ですよ、課長」
「君はそういうことはないかね」
「僕の場合、雑念や邪念ですよ。余計なことを思ったりします」
「それに近いのだがね、しばらくその雰囲気が続くんだ」
「それで、その雰囲気で判断を下すと」
「だから、それほど影響はない」
「はあ。じゃ」
「そうだね。影響がないのだから、言わなくてもいいことなんだろうねえ」
「どう聞けばいいのか、困ります」
「私も説明に疲れた」
「はい、じゃ、僕はこれで」
 男は課長との面談を終え、外に出た。
 この男も業者で、何とかこの課長に取り入ろうとしたが、方法がないようだ。乱視のようにピントがはっきり掴めない。
 上手い対応方法で、拒否されたのかもしれない。それを思うと、あの課長、かなり手強い。
 
   了




2014年2月25日

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