小説 川崎サイト

 

指寒暖計

川崎ゆきお



「今朝は寒いです」
 毎朝二時間ほど散歩をしている老人が語る。余程強い雨や大雪でも降らない限り休んだことはない。風邪程度は問題なく外に出ている。その日課の最後に喫茶店に入る。ここでの会話だ。
「寒さは指で分かります。今朝は指がいつもより悴んで痛い。夏場は指では分かりませんがね、冬場は指が寒暖計になります。今朝は気温こそそれほど低くはありませんが、本当は寒いのです。指が知っています。これは風があることも加わっています。だから気温だけの問題じゃない」
「毎日ご苦労様です」マスターがこたえる。
「苦労です。確かに。しかし、これは買って出た苦労でしてね。春になれば苦労じゃない。冬場と夏場が苦労です」
「休まれる日はないのですか」
「体調が悪いときは確かにあります。どの程度悪いのかは歩いていると分かります。じっとしていれば分からない。いつものように歩いてみて、程度を知るのです」
「症状をですね」
「はい、それで何処が悪いのかが分かります。ただ、それは反応でしてね、本当に悪いところではない場合もありますが、まあ、目安になります。ここが痛むと、あそこが悪いのだなあ、と何となく分かります。まあ、持病に限りますがね」
「はい」マスターは毎朝来る客なので、聞くしかない。
「歩いて治るわけじゃない。多少は歩くことで、まだいけると思い、自信に繋がることもありますが、これはねえ、やり過ぎると駄目なんだ。それで膝を壊した。医者に歩きすぎだと言われてね。歩くのを控えると治るらしい。たまには休ませないといけない」
「歩けなくなると苦しいですねえ」
「歩くのが苦しいのではなく、歩けないのが苦しい。つまり、散歩に出れなくなるのが苦しい。当然一歩一歩が痛いときは苦しいですがね」
「はい」
「私は徒歩健康法を述べているわけじゃない。癖なんだ。朝、あの川の土手まで行き、戻ってくるのが日課になった。だから、それを続けないと一日が始まらない。習慣とは恐ろしいものだ。頭も身体も散歩に出ないと納得してくれない」
「ハイキングとかはしないのですか」
「しません」
「あ、はい」
「腹具合が悪いときが一番歩きにくい。腹が痛くなくてもね。腹に力が入らん。これは辛い。足はどうもない。痛めていた膝もどうもない。惜しいかな腹がふにゃふにゃでは何ともならん。次は腰だ」
「腰も悪いのですか」
「普通に悪い。この年になれば、嫌でも腰にくる。ついつい若い時分と同じように思い、重い物を高い棚に持ち上げようとする。しかも膝も曲げずに、上半身だけで持ち上げる。これはいけない。ついうっかりそうしてしまい、腰がぐっとなる。筋をやられたようになり、しばらく痛い箇所が残る。痛いときは、それをフォローするが、治ると、また忘れる」
「はい」やはり、マスターは聞いているしかない。
「腰が痛いと、歩きにくい。当然だな。そこに腹具合の悪さが加わり、さらに膝がまた痛くなっている場合、最悪だ。しかし、私はこの状態でも歩く。倍時間はかかるがね。前に進めるのなら、文句はない」
「それは大変ですねえ」
「さらに息が上がる。悪いところをフォローするような歩き方になるため、頑張りすぎるためだろうねえ」
「朝から大変なことをしているのですね」
「まあ、毎朝だから、悪い箇所が重なる日もあるんだ。だが、ずっとじゃない。ハンディーはいずれ去る。そのうち治るのが殆どだ」
「続けるのは大変ですねえ」
「休みたいという気があれば休むよ。この状態なら大丈夫という頭でいると、いける」
「じゃ、休めるのは台風の日程度ですか」
「雨が強い日もね。これはカッパを着ていても泳いでいるようなものでね。水泳だよ」
「はい」
「だからねえ、今朝の冷え込みで指が痛いんだけど、これは平和な話なんだ。痛いのは指だけだからね」
「はい」マスターはそれ以上言葉を返せない。というのも、この話、何度も何度も聞いているためだ。
 その散歩老人も、そのことが分かっているため、多少エピソードや語りを変えてくるが、そのバリエーションも切れたようだ。
 
   了




2014年2月26日

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