羊羹先生
川崎ゆきお
「羊羹先生?」
「ああ、知り合いのグラフィックデザイナーから聞いた話なんだが、羊羹の好きな画家なんだ」
「画家にも色々あるけど」
「墨絵というのかなあ」
「水墨画かい」
「さあ、習字のような絵だ」
「見たことある?」
「日本酒のラベルで見たことがある」
「甘党なのに日本酒かい」
「絵がねえ、爆発してるんだって」
「芸術は爆発だね」
「さあ、そのラベルの絵で広く知られたんだが、まあ誰が画いたのかまでは一般には知られていないし、画壇があるのかどうかは知らないけど、無名だろうねえ」
「普段は何をしているのかな。画家って食えないと思うけど」
「たまに個展をする程度だけど、そこで売れるわけじゃないらしいよ」
「じゃ、どうやって食べてるの。その酒瓶の仕事だけじゃ無理でしょ」
「ファンがいるんだ。それらの人が買う」
「それが本来の画家の収入源かもしれないなあ」
「絵は大したことがないんだけど、縁起物だろうねえ」
「なるほど。それで、そのデザイナーの話は?」
「ああ、その羊羹先生に依頼する話なんだ」
「仕事を頼むわけね」
「そうそう。クライアントの会長が、ご指命だ」
「そんなお金持ちにファンがいるんだね。羊羹先生」
「しかし、偏屈な画伯でねえ。個人相手にしか絵は売らない人なんだ。しかも売る人と売らない人がある」
「僕なら、売れるなら誰にでも売るけどねえ」
「まあ、その偏屈さがこの画伯の良さなんだ。それがマイルドになるとあの絵は画けなくなると思う」
「しかし、酒瓶のラベルを画いたんだろ」
「奇跡的に引き受けたんだろうねえ。それで、その奇跡は何だろうかと知り合いのデザイナーが調べた。その方法は省略するけど、羊羹なんだ」
「羊羹」
「だから羊羹先生なんだ」
「羊羹が好き」
「そうそう。それで、お宅へ訪問するとき、羊羹を持っていった。しかも江戸屋の最上級品だ」
「高いよ。江戸屋の羊羹や最中」
「デザイナーは羊羹を持って、羊羹先生宅を訪ねた」
「そんなこと、誰でもやっているんじゃない」
「いや、羊羹好きなのは知られていない」
「なるほど」
「硯があるだろ」
「ああ、習字のとき、あれで擦るね」
「その硯の形が羊羹に似ている」
「ああ」
「小さめの羊羹で、間違うほど似ているのがある。一方は硬く、一方は柔らかい」
「うんうん」
「硯の角はしっかり切り立っている。羊羹もそうだね、あの角がシャープなほどいい羊羹らしい。まるで切れるようなね」
「豆腐の角で頭をぶつけて……なんてのもあるねえ」
「羊羹はそんなにブヨってしていない。見た感じは硬そうだ」
「うん」
「羊羹先生は絵を画くとき、硯で墨汁を作り、同時に小振りの羊羹を食べながら画くらしい。たまに間違えて羊羹で擦ってしまうことがあるとか。そのまま羊羹混じりに墨で画くんだよ。墨に混ぜ物をするのはよくあるからね。水墨画じゃなく羊羹画だ」
「昔の音楽家がクッキーを食べながら作曲するのと同じなんだな」
「この画伯は羊羹だ。だから、羊羹先生と呼ばれるんだ」
「じゃ、江戸屋の羊羹なら、喜ばれるはずだね」
「しかも最上級だからね」
「それで、どうなったの」
「それで、上手く行ったら話すようなことじゃないだろ」
「駄目だったの」
「逆効果だった」
「ほう」
「確かに羊羹が好きな羊羹先生だが、好きすぎたんだ。当然江戸屋の羊羹は評価しているので、問題はない。これ以上の贈答品はない。しかしだ」
「しかし?」
「栗羊羹だったんだ」
「それが何か」
「それがお気に召せなかったようだ」
「どうして」
「羊羹なら小豆だけで勝負せよとね」
「栗が入っている方がいいのに」
「硯に混ざり物が入っているようなものだ」
「つまり、練り物に余計なものを入れるな、ということ」
「さあ、知らないけど、栗が入っていると、調子が狂うんだって」
「ほう」
「栗に気を取られ、栗を口の中で探すようになる」
「小難しいねえ」
「羊羹の何であるのか、羊羹とは何かも知らないで、羊羹を弄っては駄目。羊羹先生だから、羊羹を与えれば気をよくするなんて単純すぎたと、デザイナーは語っていた」
「じゃ、今度は硯の大きさと同じように真っ黒い羊羹ならいけるね」
「そうだ。そこまで調べてないといけなかったんだ」
「甘い話じゃないねえ」
「まさに」
了
2014年2月28日