小説 川崎サイト

 

老魚と老猫

川崎ゆきお



「今日は暖かいですなあ」
「冬とは思えません」
「もう春が来ているのでしょう。ただ、今それをいうとフライングだ。春だと思うには、まだ確信出来るものが二三ないと駄目だ」
「梅は咲き誇っていますが、桜はまだですなあ」
「それそれ、そこが大事なんだ。ポイントなんだ。桜が咲かないと春じゃない。安心出来ない。桜は蕾がややあるような程度で、蕾でさえない。これはまだまだじゃ」
「でも天気予報では四月並みの暖かさって言ってましたよ」
「一瞬暖かくても、油断出来ない。それで春が来たと勘違いする連中が出て来る」
「でも、有り難いじゃないですか、こんな暖かい真冬は」
「それが曲者でね、うちの金魚、冬場は横になって寝ておる。死んだようにな。全く動かん。しかし、この前も少し暖かい日があっただろ」
「ありましたねえ。二日ほど続きましたよ」
「そのとき金魚が起きてきた。泳ぎだした。最初は横のまま泳いでいた。私が近付くと寄ってくる。横泳ぎでな」
「それは病気じゃないのですか」
「違う。まあ、かなりの年寄り金魚なので、元気が減ったのだろうが、決して寝たきりではない」
「その金魚、どうなりました」
「その後、寒くなっただろ。まあ、普通の真冬に戻ったからね。すると、金魚はまた寝た」
「春だと思ったのでしょうねえ」
「さあ、春というより、水温が上がったので、動き出したのだろうなあ。そういうのがこの冬二回ほどあった」
「今回はどうですか。今日の暖かさは格別ですよ。春ですよ」
「まだ寝ておる」
「ほう、しかし水温が上がれば動き出すのでしょ」
「もう欺されないと思ったのかもしれん」
「また、戻りますからねえ。寒い日に」
「学習したわけじゃ」
「賢い金魚ですねえ」
「いや、もしかすると……もある」
「と言いますと」
「本当にいってしまったのかもしれん」
「学習でしょ」
「いや、本当にそのまま寝入ったのかもしれん。冬眠じゃなく永眠だ」
「それは心配ですねえ」
「夏頃起きてきても間に合わんだろ」
「そんな長く寝ている金魚なんて見たことありませんよ。一応冬眠でしょ。フナなんて泥の中から出て来ますよ。春前になれば」
「そうなんだよ。あの金魚、金魚すくいで取ってきたものでね。赤いフナのようなものだ。形もそっくりだ」
「そのうち起きてきますよ」
「そう願いたい。暖かいのは今日だけだと無理かも。あの金魚は二日以上暖かい日じゃないと起きてこない。そして寒くなると、また寝てしまう」
「明日が勝負ですねえ」
「箸で突けばわかるのじゃが、怖くてなあ」
「はい」
「この前は死んだと思って、捨てるところだった。危ないところで、生き埋め埋葬するところだったよ。庭には猫がいるしね。掘り起こして食べてしまうかもしれない。それに、その猫ずっとあの金魚を見ていたことがあった。水槽が深いので、猫の手では間に合わんが」
「猫も念願の金魚が食べられていいんじゃないですか」
「その猫なんだがね、これも寝たきりでね。ずっと寝ておる。こいつもかなりの年の野良でなあ。全く動かんこともある。いつ見ても寝ておる。心配になって腹とかを見る」
「腹」
「息をしているかどうかじゃ。庭に下りたとき、庭下駄で結構音が立つのだが、それにも反応しない。たまに魚の食べ残しをやりに行くのだが、反応しない。いつもなら、匂いですぐに分かり、ギャーギャー鳴いておったのになあ」
「その猫、どうなりました」
「いつもの場所にいるはずなのだが、いないときもある。だから起きて移動したんだろうなあ。そして、また戻ってきておる」
「トイレに立ったんでしょうか」
「まあ、餌は毎日やるわけじゃないから、餌場巡りでもしてきたのだろうなあ」
「じゃ、生きているのですね」
「危ないところだ。反応が鈍くなっておるし、寝てばかりじゃ」
「金魚といい勝負ですねえ」
「私も、その勝負の中に加わるような年になっておる」
「ああ、なるほど」
「なるほどじゃない。猫事、金魚事じゃない」
「はいはい」
 
   了


 


2014年3月1日

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