小説 川崎サイト

 

なりすまし散歩

川崎ゆきお



「さて、今日はどんな風景を見ようか」
 散歩人の下田は計画を練っている。もうそうしないと近在は歩き倒したため、行くところがないのだ。当然同じ場所や通りを歩いていても珍しくも何ともない。しかし遠くまで出るのは大袈裟すぎる。そこまで暇な時間はない。
 電車に乗り、見知らぬ駅で降りて戻って来るのもいいが、半日かかる。これは時間の取り過ぎで、息抜きである散歩がメインになってしまう。
 散歩はメインになってはいけない。これが下田の考えだ。何故そうなのかはよく分からないが、何となくそんな気がする。それは罪悪感に近い。
 散歩は間食で、米の飯ではない。おやつだ。それがメインになってはいけない。その程度の発想で、深い考えではない。
 そこで下田は発想を変えて散歩に出ることにした。たとえば刑事になった気分で街中を歩くと、そういう見え方になる。また泥棒になった気持ちで歩くと、家々を見ていても盗みに入れそうかどうかを判断する。
 セールスマン気分で出ると、住宅地の通りを隈無く歩いたりする。これは散歩ではないかもしれない。新聞配達や郵便配達のルートと重なるが、そうでない人がそんなルートで歩いていると危ないだろう。
 これはコスプレではないが、今日はどのキャラで散歩に出るのかを考える。それにより、コースが違うのだ。歩いている道は同じだが、コースが違う。また見るものも違う。歩いている世界が違うのだ。
 老婆のキャラになれば、寺社や祠巡りになる。すると、本物の老婆と遭遇することがある。そのときは服装などを参考にする。これは決してコスプレをするわけではない。役作りのためだ。たまに尾行し、お参りコースなども教えてもらう。聞くわけではないが。
 この下田の様子を窺っている人がいたとしても、ただ単にウロウロしているだけの人にしか見えないだろう。見た目はそんな感じで、その心の中までは分からない。実は老婆になっているのだが、そのようには見られない。
 そういった精神的コスプレ散歩をしているとき、下田はふと思うのだが、自分自身になるのが一番つまらんと。そのままのためだろう。
 見知らぬ観光地に行くと、素の下田で、下田そのもので歩いているわけではない。この場合は観光者になっていることがある。旅人ではない。そこまで古い風景がないためだろう。旅行者と言うほどでもない。やはり、お膳立てされた観光地風なキャラになる。
 自分が自分のままでいるのは、案外退屈なもので、間が持たないのだろう。
 
   了

 


 


2014年3月4日

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