懸賞小説の落とし穴
川崎ゆきお
訪問好きの木下は、最近頻繁に文学青年の下宿を訪ねている。
「懸賞の落とし穴という講演に行ってきた」青木が切り出す。
下宿の二階は廊下を挟んで左右に部屋がある。部屋はドアではなく、板戸をガラガラと開ける。廊下そのものは靴では上がれない。階下にスリッパもない。だから、戸を開けても靴脱場はない。しかし、いきなり畳ではなく、一畳ほどの板の間がある。そこにカーテンが垂らされていたが、足の長い暖簾のようなものだ。
「懸賞の落とし穴かい」
「ああ、懸賞小説に応募するときのコツのようなものを教えてもらったよ。一番多く陥る落とし穴があるらしく、一次審査で先ずここで落とされるらしい。当然最終選考にも落とし穴がある。それらを詳しく聞いてきた。講演なんだ。無料だった」
「落とし穴か」
「ああ」
「しかし、落とし穴って、何もないはずのところに穴が掘ってあって、そこにうっかり落ちる感じだろ。青木君の場合、前方全てが穴じゃないのかな。隕石でも落ちたように」
「よくそこまで言うよ」
しかし、そういう失礼なことを木下が言っても平気だった。青木もそれを自覚しているためだ」
「前方全てが落とし穴か、それは防ぎようがないなあ。注意するも何もないからねえ」
「よく分かっているじゃないか、青木君」
「落ちない方法はないかなあ」
「落とし穴かい」
「ああ」
「だから、安全に踏める場所がないのだから、落ちるしかないだろ」
「じゃ、あの講演は嘘かい」
「嘘じゃないだろうねえ」
木下は今もフリーライターをやっているため、多少そのあたりのことは知り合いからも聞いていた。その知り合いから青木の話を聞いたのだ。古代魚のような文学青年が棲息していると。しかもその棲息地が下宿屋の二階と聞けば、もうお知り合いになるしかなかった。
「じゃあ、本当によく見えない落とし穴に落ちる人もいるんだね。どういう人なの」
「だから、入選してもおかしくない人だよ」
「それは誰?」
「みんなそれは自分だと思っているでしょ」
「ああ、そうだね。僕も自分が入選し、一等を取ると思っている」
「それが最大の巨大な落とし穴なんだろうねえ。だから一次で瞬殺さ」
「じゃあ、誰のための講演だろう」
「入選する人のためだろう」
「だから、それは全員だろ。全員そう思って応募するんだから」
「まあ、そうだけど、聞いた話では、最初からもう決まっているらしいよ」
「本当かい」
「ただねえ、そういう人でも一次で落ちるんだ」
「ほう」
「知らないんだね。一次の選考者。バイトだから」
「ああ、伝わっていなかったのか」
「だから、それが落とし穴だ。約束はされていたんだけどね」
「バイトが、ちゃんと聞いていなかったの」
「伝えていると思うよ。だから一次はパスしてもいい。しかし、一応順序通りやる。そのとき、バイトがうっかりしていて落としてしまった。これが落とし穴だ」
「伝達しているのに」
「面倒だからね、読むの。しかし最初の数行しか読まないよ」
「しかし、バイトのミスが落とし穴って、講演では言ってなかったよ」
「さらに審査員が面倒臭い。出版社側は推したい人がいる。しかし、審査員が個性を出そうと、妙な作品を選んでしまう。これも落とし穴なんだ」
「じゃ、いらないじゃない。審査員なんて」
「講演にはなかった?」
「そんな話はない」
「まあ、ライバルの芽は早いうちに摘むべきだしね」
「僕は尊敬する作家先生が審査員になっている懸賞に出すようにしている」
「だから、それがが落とし穴なんだ」
「まあ、僕の場合、前方全てが落とし穴のクレバスが拡がっているので、何をしても駄目か」
「そんなのに応募などしてもつまらんから」
「そうだねえ。ここで天国荘奇譚をやってる方がいいか」
「だから、隠されていないんだ。落とし穴のようにね」
「僕は二葉亭四迷が好きなんだ。そんなタイプの作家、今いるのかなあ」
「落語家みたいだねえ」
「二葉亭だからねえ」言いながら青木は微笑む。
「それよりも、僕が思うのは、懸賞小説そのものが落とし穴なんだよ。だから、大きな穴だから、その淵に近付かない方がいいよ」
「そうだね」
了
2014年3月7日