小説 川崎サイト

 

差違と反復

川崎ゆきお



「昨日と違うことをするのが大層になりますなあ」
「そうなんですか」
「多少の違いはいいよ。予定内のことならね。しかし、私の予定はほぼ決まっていて、毎日同じなんだ。土日も平日もない。ここにもし日曜らしさを入れた場合、逆に不安定になる。ずっと日曜らしい日々なら別だがね。出掛けたり、遊んだり、日曜だからずっと寝て休んでいるとか」
「ペースの問題ですね」
「ペースねえ。まあ日常ペースかなあ。これはねえ、安定すればするほど、他のことがしたくなくなるのですよ」
「毎日同じことの繰り返しなので、退屈し、刺激を求めて、何か別のことをするのではないのですか」
「はい、ないのです。そうではね」
「ほう」
「だから、散歩も同じ道、同じ時間じゃないと、調子が狂う」
「調子がペースと言うことですね」
「まあ、そうだね。予定内の行動とはね、八百歩のところが七百二十三歩になった程度でね。今日は股の開きが大きいなあ、何か急いでいるのかなあ、程度だ。これはその日の気分で、歩数が違うようだ。計ってはいないがね。足の出し方で、何となく分かる。この範囲ならいいんだ。決して同じ事の繰り返しじゃなく、差はあるが、この差なら面倒ではない」
「では、食べるものも同じものがいいのですね」
「そうだね。たまに違うものを食べたいと思うことはあるけど、それは一度食べたものに限られる。ここにも僅かな変化があるがね。同じ大根でも、また違う。しかし、歩数と同じで、この範囲ならいいんだ。ところが、食べたことのない、または滅多に食べないものを食膳に乗せると調子が狂う。刺激にはなるがね。これはねえ、丁と出るか半と出るかでね。美味しかったとなるか、失敗したとなるかだ」
「失敗ですか」
「選択を間違えた。良い刺激ではなく、調子を崩す刺激だった。だから食べ慣れたものを食べていると安全だよ。毎食毎食同じ物なら当然飽きるので、そこは多少変えているがね」
「同じ事の繰り返しとは、反復を繰り返すことなのですね」
「反復だから、言われなくても繰り返していますよ」
「そうですねえ。しかし、違うものを望んだりはしないのですか」
「いやいや、そうではありません。実は全部昨日とは違うのですよ」
「同じ事をやられていてもですか」
「決して同じではないので、同じに持っていこうとしているだけなのです。実は違いの方が目立つのですなあ」
「ほう」
「違いが出るから同じに持ち込もうとします」
「何処に違いが出るのですか」
「散歩中も同じ道ですが、少しだけ違います。向こうから人が来れば、避けるでしょ。もうこれだけで昨日とは違う道です。この違いを修復させるため、いつものコースに戻そうとします」
「同じ道でしょ」
「その道の中にも、また道があるのですよ。車道寄りとか、街路樹寄りとかね。道幅が狭くても、決して真ん中を歩くとは限りません」
「では、歩道にも、あなたのレールが敷かれていると」
「はい、そこからズレると修正を加えなければなりません。忙しいですよ。結構。これは違いが生じたから、そうするのです。同じなら気にも留めません。違いの方が目立つのです」
「ということは、何をなされていることになりますか」
「はい、同じ事を繰り返しているのですが、それは違いを吸収するための動きなのです。同じに持っていこうとするね」
「はい」
「まあ、あなたはこの心境が分からないようなので、それ以上説明はしませんがね」
「はい」
「同じ事でも、年月が経てば、同じではなくなります。それを始めた頃に戻すのはもう不可能になっている場合がありますからね。そのため、毎日同じ事をやってますが、その同じ事がまた変化しているのですよ、いつ切り替わったのか、何となく覚えていますがね。昨日までやっていた小さなことが今日はもう消えてしまっているかもしれません。だから、決して同じ事を繰り返していても、これはこれで変化があるのです」
「やはり、分かりません」
「そうですか、同じ事をやっている人の方が、実は違いに敏感で、違い探しのようなものをやっているようなものなのですよ」
「はい」
 
   了


 



2014年3月14日

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