小説 川崎サイト

 

東屋の雨

川崎ゆきお



 公園の東屋にあるベンチでの話だ。屋根付きの休憩所のようなものだ。
 雨が降っており、当然ここでは傘を差さなくてもいい。ただ、来るまでは差さないといけないだろう。
「暖かい雨ですね」
「他にありませんか」
「はあ」
「他に話題が」
「話題ねえ。話してもドラマチックなものは、もうないですなあ」
「それで、雨の話ですか」
「幸いなことにね」
「以前からそうなのですか」
「何がですか」
「興味深い話が他にあると思うのですが」
「ああ、それは色恋や欲得に耽っていた頃でしょうかねえ。そこには色々とドラマがありましたが」
「では、その頃のお話をしてもらえませんか」
「私がですか」
「そうです」
「話すようなことじゃないですよ。それに自慢話になります」
「しかし、雨が降っている話よりも興味深いと思われますが」
「そうですか。私は雨が降ってるとか、暑いとか、寒いとかの話の方が好きですよ。これは平和な話ですからなあ」
「だから、雨なら水害とか、気温なら異常気象とか、そういう話になるはずなのですが」
「はず、ですか。しかし、そんな大袈裟な話じゃなく、いま降っている雨について思う方がいいのです」
「雨なんて、傘を差せば済む問題でしょ」
「いやいや、この時期、こんな暖かい雨が降っていることは、どういうことなのかを考えます」
「天気図を見れば分かるのでは」
「予報を見てしまうと、楽しみがないでしょ」
「た、楽しむ?」
「はい、この東屋へ来るとき、雨なのか、晴れなのか、曇りなのか、家を出るとき、それが楽しみなんです」
「雨も楽しめるのですか」
「雨を経験すると、晴れがよりよく見えます。決して雨が楽しいわけじゃない。これは我慢劇で我慢している期間なのです。これで溜が出来る。すると今度晴れたとき、その晴れを見てカタルシスを覚える」
「僕には分かりません。他に難題が色々ありまして、たまにここで一人で腰掛け、考え事の続きをやっています」
「あまり見かけませんが。私は毎日、この時間に来ています」
「ああ、今日は他の用事で、来る時間を違えました。まあ、毎日同じ時間には来れませんよ。時間が空いたときにね」
「あ、そうですか。私はここへ来るのが日課で、他の用事は滅多に入らないので」
「ここで何をされているのですか」
「さあ、それは忘れましたが、滅多に人とご一緒はないですねえ。私が帰ってから、常連の散歩人さん達が集まるようですが」
「雨が降っているのに、わざわざ来られたのですね」
「はい、日課というか」
「他に優先すべきメインはないのですか」
「メインですか。はいお陰様で、もうそんな面倒なメインなどなくなりましたから、平和そのものですよ」
「そうですか」
「じゃ、私はこれで失礼します。長く座っていると、ここは尻が痛くなるベンチですから、いつも長くは座っていないのですよ」
 老人は大きく重そうな傘を差し、東屋から離れた。
 もう一人の男は目を閉じ、じっとしている。瞑想中のように。きっと心を空にするのではなく、色々なことを頭の中で整理でもしているのか、あるいはある事柄に関し、集中的に思案しているのか、それは分からない。しかし、眉間の皺が苦しそうに見える。
   ★
「引田の留めさんに公園で会ったよ」
 帰宅した老人が夫人に語る。
「あの人、何だった」
「さあ、何だろうねえ。色々やって来た人だけど、あの東屋で座るようになりゃ、もうおしまいだね」
「あなたも早い目に引いてよかったわね」
「留めさんだけに、まだ留まっている。引き際が悪いんだねえ」
「そうですねえ」
 
   了



2014年3月15日

小説 川崎サイト