小説 川崎サイト

 

怪談蚊喰い鳥

川崎ゆきお



 妖怪博士付きの編集者が玄関から声を掛ける。
「博士、いますか。僕です」
 玄関戸は上部は磨りガラスで、それが明るくなる。奥の襖を開けたのだろう。当然妖怪博士が玄関まで出て来る最中で、不在ではなかったので編集者は一安心する。また、昼寝中でもなかったようだ。
「開いているので入って来なさい」
 玄関にはカギは掛かっていないのだが、黙って入り込むわけにはいかない。編集者はいつものように縁側に面した奥の六畳に通されたのだが、ホーム炬燵の上に蜜柑が乗っている。十個以上あり、小粒だ。
「ホーム炬燵に蜜柑、いいですねえ。冬らしくて」
「ああ、スーパーの前で売っていたのでな、ついつい買ってしまった。蜜柑など滅多に食わんのだが」
「冬場、妖怪博士は冬眠されていると聞いたのですが、今日は起きているのですね」
「そうそう寝てられるものではない。夜にも寝るのでな」
「はい」
「蜜柑にするか、お茶にするか」
「妖怪談がいいですが」
「ああ、そう」
「あのう」
「何かな」
「お茶と、蜜柑、頂きます」
「そうか」
 妖怪博士は小さな魔法瓶から直接茶漉しに湯を注ぐ。
「夏の話だがねえ」
「はい」
「言わなかったかね」
「夏の怪談ですか」
「そのまんまの話があった」
「妖怪じゃなく幽霊ですね」
「妖怪なのか幽霊なのかよく分からん」
「構いません」
「それが終わったとき、君に話したかったのだが、本物の妖怪じゃないのでな、口にしなかった」
「聞きたいです。博士」
「私は映画はあまり見ない。たまには映画館へ行くが、ここ何年かは行っておらん」
「映画の話ですか」
「舞台は映画館だ」
「はい、いいですねえ。暗い場所だし」
「ある寄り合いがあってねえ。まあパーティのようなものじゃが、そこで映画監督と知り合いになった。妙に気が合ってねえ。彼はホラー映画が好きらしく、私の妖怪談も読んでくれていたらしい」
「うちから出した日本妖怪紀行ですね」
「日本となっておるが、近場の話だよ」
「いえ、日本としたから、それなりに売れたのですよ」
「今は」
「今はその、まあまあですが、また続刊を出せば、引っ張られて」
「だから、こうして話しておるではないか。もう随分と溜まっただろ。この聞き取りも」
「はい、でも使えるものが……」
「少ないと」
「そういう話ではなく、博士、その映画監督とどうなったのですか」
「ああ、私も彼が気に入った。若いがね。それで他の人は無視して、彼とばかり話していた」
「パーティ会場が舞台ですか」
「違う。舞台は映画館だ。先ほど言ったじゃないか」
「ああ、そうでした」
 編集者は蜜柑の皮を剥き出した。
「別れ際にね、チケットを貰ったんだよ。上映会のね」
「はい」
「パーティー後、しばらく経過した。上映会の日が近い。しかし、行くのが面倒でねえ。失礼だが彼の映画を見たいとは思わん。無理に引っ張り出されるか、出演しないといけない出番があるのなら別じゃが、ただの客として見に行く気にはなれん。制作費も安いし、知っている俳優も出ておらん」
「何というタイトルですか」
「妖怪対魔獣世紀の戦い」
「博士向けのタイトルじゃないですか」
「しかし映画館じゃない。古臭い倉庫のようなところを改装した多目的ホールのようなものらしい」
「よくありますよ。夜はライブハウス、昼はギャラリー、たまに映画や講演もあるような箱」
「それに遠い。地下鉄の果てのようなところで、行く機会などないような場所じゃ。映画はやはり大都会の大きな映画館で大勢で見ないとねえ」
「はいはい、でも結局行かれたのでしょ」
「彼に悪いからねえ。きっと会場にも来ているはずだ。顔を出さないと義理が悪い。映画は見たくないのだがね」
「そんなこと言わないで、見て上げないと」
「まあ、嫌いじゃないが、それほど好きじゃない。私が今見たいのはねじの回転だよ」
「はあ」
「ねじの回転」
「ああ、小説でありますねえ」
「あれが好きでねえ。幽霊が露骨に出て来るのではなく、何かおるような雰囲気で始終する」
「その続編の映画もありますよ。ねじの回転の前の話です」
「詳しいねえ、君は」
「僕もホラー映画のファンですから」
「そうか」
「それで、行かれたわけですね」
「ああ、嫌々ながらな」
「嫌がるようなことじゃないですよ博士」
「うむ」
「それで、怪談は」
「映画上映中に怪異が起こった」
「来ましたねえ博士、久しぶりの怪異です」
「うむ」
 妖怪博士も蜜柑の皮を剥く。
   ★
「ホールは以前倉庫だったためか、意外と天井が高い。しかし縦に長く鰻の寝床のような場所じゃ。スクリーンはステージの奥にある。少しだけ段があってなあ。それほど高くはない。子供でも上がれるほどだ。芝居などをやるとき、あまり舞台が高いと板が見えんからなあ。小劇場がたまに上演するようじゃ。ホールのスケジュール表があってなあ。それを見ていた」
「アングラ系ですねえ」
「最近はインディアンと言うのじゃなかったのかな」
「ああ、インディーズですね。それより、怪異を早くお願いします」
「すぐ出る。すぐ」
「はい」
「その知り合いの監督の映画は妖怪と魔獣との戦いでな。まあ、西洋の妖怪と日本の妖怪が戦うような話じゃ。これは、パーティーのときに聞いていたので、見る気がしなかったのじゃ。ホラーと言うより怪獣映画に近い。廃校を舞台にしたバケモノ合戦でな、味も情緒もない。しかも、いきなり全員ゾンビになって大パニックになって終わる話のようじゃが、途中で出たので、よく見ておらんかった。他の客もな」
「ホールを出たのではなく、何かが出たのですね」
「当然だが、上映中は薄暗い。ただ、この映画も暗くてのう。昼間撮影したようなのじゃが、夜のように見せておる。それでも暗闇ではない。スクリーンからの明かりもあるしな。それに上映中、スクリーン以外は先ず見んだろ」
「博士、早く」
「うむ。舞台の横と言うよりは、客席だな。舞台の左端だ。椅子はパイプ椅子だが、舞台との間に結構幅がある。まあ、スクリーンが意外と大きいので、最前列の席をかなり後退させたのだろう」
「はい」
「私も最初は分からなかったが、ひそひそ声が聞こえる。見えるとか、いるとか、立ってるとか。私は映画の中での話だと思っていた。上映中喋らんだろ」
「立っていたのですね。舞台の袖に、何かが」
「何かがじゃない。これはどう見ても幽霊だろうなあ。和服の女性で髪の毛を乱し、じっと直立不動で」
「それは怖いです」
「たまにスクリーンが明るくなると、顔までよく見えた」
「どんな」
「壊れておったのう。顔が」
「はあ」
「青白い顔で、口が赤い。唇をたまに突きだしていたが、その中も赤い。目も赤い。瞼から額に掛けて瘤のようなものが出来ておる。一瞬じゃが、よく見えた」
「上映中ですよね」
「少しどよめきが起きたが、その後、すっと消えた」
「幽霊がですか」
「ああ、まあ、暗いので、すっと消えたように見えたんだろうなあ」
「客は最初驚いたが、これは映画の効果を上げるため、そんなサービスをした程度に思ったらしい。その後は西洋の妖怪も日本の妖怪もゾンビになり、地方の廃校から東京へ向かい、人々を襲いながらゾンビ集団が向かうところで終わった」
「しかし、その立ちん坊の幽霊と映画とは関係ないような気がします。映画の中に、そんな妖怪は出て来るのですか」
「出て来ん」
「じゃ、出たのですね。やはり」
   ★
 妖怪博士はそこまで語りながら、ずっと蜜柑を弄っていた。手の平で揉んだり撫でたりしていたためか、生温かくなっている。
「それは何だったのですか」妖怪博士付きの編集者は三個目の蜜柑の皮を剥きながら訊く」
「君は蜜柑の皮を剥くが、剥いても、もう一つ皮があるだろう」
「ああ、それを食べるかどうかの話ですね。僕は食べません」
「いや、本来は蜜柑の皮そものを食べてしまう」
「そうなんですか」
「蜜柑の皮を焼いて食べたりするじゃろ。風邪などのときに」
「ああ、食べられるんですねえ」
「まあなあ」
「それより、何だったのですか。その怪異は」
「あとで、監督と話した」
「はい」
「まあ、顔だけ見せればよかったんだがね。一応見に来たことを知らせればそれでいい。義理はそれで果たした」
「義理がどうとの話じゃないですよ。映画の上映中、幽霊が立っていたのでしょ」
「監督は知らないと言ってる。上映スタッフもホール側も知らないとね。そんなものを立たせた覚えはないと」
「そういう場が悪い物を呼び込んだのではないのですか」
「しかし、それなら、何度も出ておるだろ。ややこしい悪魔系のパンクバンドも来るようだしな。狂ったようなセリフを大声で叫び倒すような劇団も上がるようだし」
「じゃ、ホールにはそんなことは一度もないと」
「何かがおると言ったバンドがあったようだが、このメンバーの一人らしいが、そういうものが見えるようでな。だから、見えるのはそのミュージシャンだけで、あの夏の日のように、かなりの客が見たのじゃから、幻覚でも錯覚でもない」
「はい。それで、実際は何だったのですか」
「君はそういう怪異をそのまま信じて、はい怖かったですでは済まされないのかね」
「当然ですよ。トリックでしょ」
「いやいや、仮にも君は怪談を扱う編集者だ、それなら、最初からそんな現象はないと思いながら仕事をしておるのかね」
「本当なら、怖くて、こんな仕事、出来ませんよ」
「まあ、そうじゃな。ではタネを明かそう」
「やはり、作り物だったのですね。仕掛け物だったのですよ。お化け屋敷のように」
「しかし、誰も呼んでおらんのに、そういうものが出た」
「誰かがイタズラで飛び入りでやったんですよ」
「監督に聞いてみた。スタッフの中で、そう言うことをしでかしそうな人はおらんかとな。そんなことをすると人間関係が崩れるしな。それと、あのメイクや衣装を映画の中で使わなかったかと」
「どうでした」
「否定された」
「はあ」
「私もよくは見ておらんが、口が、くちばしのようにも見えた。とんがっておるんだ。しかも目をかっと見開いてな」
「それは怖いです」
「私はスケジュール表を思い出した。それで、ホール事務所に行き、過去の題目を見せてもらった」
「題目とはまた古いですよ。博士」
「演目か」
「まあ、そうですが」
「そんなことはどうでもよろしい。私の勘が当たっているかどうかを確認したのじゃよ」
「何か思い当たることでも」
「まあ、そうじゃな」
「どうでした」
「あったのう。それに近いのが」
「何でした」
「怪談蚊喰い鳥」
「何ですか、それは」
「講談じゃ」
「はい」
「若手の講談師が、例の上映会の一週間前にやっておる」
「鳥が近いと」
「クチバシがあったような気がしたからな」
「さすがに鋭いです」
「我ながらいいところを突いた」
「はい」
「私はスタッフに、その講談師の連絡先を聞き、面会した」
「動いていますねえ。妖怪博士にしては珍しい」
 妖怪博士は蜜柑をぽんと上へ投げ、天井すれすれまで達し、さっと落下してきたところを上手く受け止めた。
   ★
 妖怪博士は怪の解を語り出した。
 それは半年ほど前の話で、妖怪博士も無事に今語っているのだから、無事に終わったのだろう。そして敢えてこの話をしなかったのは、妖怪博士捕物帖になるためかもしれない。
「講談師はまだ若くてな。一龍斉二流若で怪談話を得意としておるようじゃ。まあ講談など出来るような小屋など限られておる。そこで色々な場所に呼ばれて、座興のような感じでやっておるのじゃが、たまには自分で場を設けたい。自主興行だな。それで、あのホールでやることになった」
「はい、たまに聞きますねえ」
「演目は怪談蚊喰い鳥。蚊を喰う鳥の話じゃない。喰うのは蚊帳なのじゃ」
「夏場吊る蚊帳ですか。蚊避けの」
「鳥がその蚊帳を食うのではなく、女だ。鳥ではなく女。何故鳥なのかは分からん」
「女の人が蚊帳を喰うのですか」
「さあ、無理がある。鳥なので突く程度だろう。要するに網のような蚊帳を破けばいいんだ。蚊が入ってくるようにな」
「何ですか、その女性は」
「これは作り話の怪談らしい、おそらく中国の怪異談が元ネタだと思うが、それが講談になったとき、また話が変わった」
「はい」
「女には乳飲み子がおったのだが、亭主が博打に走り、蚊帳を質に入れた。運悪く蚊帳なしで寝たものだから、悪い蚊か毒虫に刺され、女も乳飲み子も亡くなった。顔中瘤だらけになってな。まあ、これは作り話なので、いい加減なものだが、それで女は亭主を呪い、祟り殺した。それでも機嫌が直らず、自分と同じように蚊に刺されて死んでしまえとばかりに、他の家の蚊帳を破りに掛かったのじゃ。ここで妖怪と化する。女は鳥のようなクチバシになっておった。その姿でそっと庭から忍び込み、吊ってある蚊帳を突き破った。怪異談ではこれを蚊帳喰い女鳥となっておる。それが講談蚊喰い鳥の荒筋じゃ」
「その講談中、舞台の横でその扮装で立ち、雰囲気を出そうとしていたのですね」
「そうじゃ。若手講談師はそれをやってみたかったんだろう」
「え、でも、それと映画とは別の日でしょ」
「そう、別の日じゃ」
「じゃ」
「ホラー映画上映中幽霊が立っておる。これは上映会の趣向としてあるかもしれん。だから、それが出たとき、私も客も驚いたが、ああこれは仕込んだものなのじゃと、分かったので、それ以上の騒ぎにはならんかった。しかし、関係者に聞いてもそんな仕込みはないという。ではあれは何だったのかで、怪異談としてそこで終わってもいいのじゃ。本物が出たわけじゃからな」
「博士、それじゃ日を間違えて」
「一龍斉君に聞いてみると、確かに幽霊は呼んだ。だが来なかったらしい。日を間違えたのじゃな。その幽霊さんはとある劇団員でな。まあ派遣幽霊というところか」
「それだけのことでしたか」
「その派遣幽霊とも会ってみたよ。男だった。劇団員だからね、古着は簡単に用意出来るし、メイクも問題なしじゃ。ただ、間に入った人から聞いて、その日にホールの楽屋入りするつもりだったが、遅れた。しかも一週間間違えておった」
「しかし博士、ホラー映画と講談とでは違うでしょ。いくら暗くても」
「妖怪や魔獣が出て来る映画なのでな。そのセリフが似ていたのだろうよ」
「うっかりですねえ。その幽霊君」
「まあ、一龍斉君も自分のスタッフじゃなく、適当に知り合いの劇団員に頼み、その劇団員も別の奴に頼んだ。要は言われた通りそこで立ってればいい話なのでな。まあ、打ち合わせする時間がないほど遅刻したのがいけなかった。それ以前に日を間違えた」
「そんなことがあるのですねえ」
「段取りミスじゃ」
「はい」
「それだけで、十分怪しいことが起こる」
「滅多にそんなことは起こりませんよ」
「だから、私は君に話さなかった。出来すぎた現実は嘘になる。よって作り話だと思われるからな」
「そうなんでしょ、妖怪博士」
「さあ……」
 妖怪博士は蜜柑を皮のまま囓った。
「怪談蜜柑喰い鳥ですね」
「まあな」
 蜜柑ではなく人を喰ったような話だ。
 
   了



2014年3月16日

小説 川崎サイト