小説 川崎サイト

 

ものそのもの

川崎ゆきお



「彦さんついて聞きたいのですが」
 相当な山里だ。標高そのものが高い。もし観光地なら天空の村と言うだろう。鈴木はその村へやって来た。
「あんた誰かね。どうして彦さんを知っておる」
「この里の人と同級生なのです」
「誰だろう」
「大岩手君です」
「ああ、あそこの息子か、で、それで彦さんを知ったわけかい。余計なことを喋るねえ、あの息子は」
「山に彦さんがいると」
「ああ、いるよ」
「山の神ですか」
「まあ、そうじゃな、今でもよく噂は聞く。彦さんが来たとか、彦さんが出たとか」
「その彦さんは何処におられるのですか」
「お山だ」
「どの」
「うーん、ここがそもそもそのお山なんだな」
「はい、駅から小さなバスに乗って、ここまで来ましたが、かなり登ったような気がします。エンジン音が凄かったです。こんな山の上に村があるなんて、奇跡のような」
「奇跡とは大袈裟な、昔からあるよ。この村は」
「平家の落人なんかが住んでそうですねえ」
「そうだね、ここまで来れば、世間とは随分離れるかもねえ」
「それで、彦さんなのですが、何処に」
「さあ、この周辺の山にいるはずだけどね」
「そうですか」
「見たいかね」
「はい、わざわざそれで、来たのですから」
「あんた、民俗学なんかに興味があるのかね」
「いえ、それほどは。でも大岩手君が面白うそうに語るもので」
「どんな」
「お供え物を置くと、いつの間にかなくなっていたとか。谷で声を出すと、違う言葉で返ってくるとか」
「ああ、そうだろうねえ」
「出来れば、いそうな場所を教えていただけますか」
「あまり言いふらさないと約束するならね。そうでないと、彦さんに潰されますよ」
「はい」
   ★
 彦さんが今現在、何処にいるのか村人が調べてくれたので、その山へと向かった。それほど遠くはなく、お椀を伏せたような穏やかな山だが、その綾線はぎざぎざしている。原生林に近いのか、色々な木が生えているのだろう。
 その山に踏み込むと、岩や石がごろごろしている。これでは植林には適さないだろう。
 教えられた場所は中腹の岩場にある洞窟だった。
「ああ」
 まだ若そうな人だが、猿のように見える。顔の髭を剃っていないためだろう。髪の毛は後ろで括っている。衣服は普通だ。その辺りで売っている今風なもの。
「あなたが彦さんですか」
「ああ」
「山の神ですか」
「私で何代目かになるなあ。血は繋がっていないが」
 鈴木はピンときた。山人なのだと。つまり山の民だ。
「今日は何、イノシシの肝ならあるけど、鹿はない。熊は滅多にない」
「そうじゃなく、お話しを」
「私は元々の彦さんじゃない。まあ、身元は明かしたくないが、下では暮らせん」
「逃亡者のような」
「まあ、落ち武者のようなものかな」
「はい」
「先代の彦さんの跡を継いだ」
「先代とは、その前まで彦さんをやられていた人ですね」
「そうだ、もう体がえらいので、彦さんは出来ないらしくてな。私とバトンタッチさ」
 要するにホームレスなのかもしれない。
「私は道々の者になったが」
「え、何になったって」
「道々の者だよ」
「路上の人ですね」
「ここは山々の者の物なのだが、もういなくなった。かなり前の話だ。明治の前ぐらいまではいたらしいがね。だから山々の者じゃなく、道々の者からバトンを渡された」
「あ、はい」
「まあ、ここでは神様だからね。しかし、こちらも何かせんといかん。しかし、神じゃないから、そんな力はない。それでキモ取りや薬草採りをしておる」
 鈴木はこれで得心したようだ。ものそのものと対面出来たので。
 
   了


 

 


2014年3月20日

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