一段落
川崎ゆきお
「一段落すると行く場所があるでしょ」
「はあ」
「物事が一段落したとき、行くような場所です」
「ああ、あるような気がします」
「気ではなく、実際に行かれたことはありませんか」
「いや、意識したことはないけど、自転車でその辺を走ります。だから、特定の場所じゃないのかもしれません」
「自転車で走る?」
「はい、金魚鉢の中の金魚が大きな池で好きなように泳ぐような感じです」
「その場合は池ですか。一段落付いて行く場所は」
「私は金魚じゃないので、池というわけではありません。ただ、一段落付いたので、狭い場所から解放されて、好きなところを自由にウロウロしたいのでしょうねえ」
「ああなるほど、特定の場所を私は想定していました。私の場合は旅行なんですがね。自転車でウロウロと似ているかもしれません。ただ、行く場所は決まっているのです。お気に入りの観光地のお気に入りの旅館がありましてねえ。そこで一息つくのが私の流儀です」
「ああ、それはいいですねえ」
「若い頃からではありません。くたびれてきた青年になってからでしょうねえ。三十を超えたあたり。今この年代の人を見ると、子供に見えますよ。まだまだ青臭い。その頃から私は始めました。どんなに忙しくても、それが一段落付くと旅行へ出られると思い、頑張りましたねえ」
「そうなんですか」
「しかし、年を取ってから暇になり、物見湯山で方々へ出掛けるようになりました。それ以前に……」
「何ですか」
「一段落がなくなった」
「あ、はい」
「何処で段落を置くのかが怪しくなった。特に仕事はしていませんからねえ。頑張ったと言うこともない。まあ、大病でもして、それが回復すれば、旅行にでも出ようかと思うのでしょうが、そう言うこともありません」
「それで、その観光地の旅館はどうなりました。まだ行かれているのですか」
「退職後、あちらこちらの観光地を巡りましたよ。その中で、あの旅館も入っていますが、あまりよろしくありません。そういう気概で行ったわけじゃありませんからな。有難味がありゃしない」
「でも、そうして遊んで暮らせるのは良いことじゃないのですか」
「いやいや、そうではありません。やはりメリハリが必要なのでしょうなあ。苦しい仕事をこなすとか、忙しい日々を送るとか、そう言う溜が必要なのですよ」
「溜ですか」
「そうです。あなたのように一段落付けば自転車で飛び出し、その辺りをうろついて帰って来る。これでいいのかもしれませんなあ。あまり大技を使わないで」
「旅行はやはり大技ですよね」
「そうだね。たまにだからいいのだし、やっと行けたから良いのでしょうなあ。いつでも行けるのなら、繰り返しますが有り難くも何ともありゃしない」
「やはり苦労も必要というわけですね」
「数倍、効果が違います」
「はい」
了
2014年3月25日