小説 川崎サイト

 

借金坂

川崎ゆきお



 雨が降る坂道だ。その丘の上にイラストレーターの家がある。坂道を徒歩で上がって行くのは老いた画家。マンホールの蓋や道路の白い線などを踏むと、滑りそうだ。
「たまには運動でいいんだ」黒山老画家が呟く。何か発していると楽なのだ。
「こんな坂の上に、よく家を建てたものだ。住みにくいじゃないか」
 黒山は自転車で来ようと思ったのだが、雨で傘を差して、この坂道を上るのは嫌だ。降っていなくても、自転車での坂道はしんどい。歩いた方が楽だ。それでバスで近くまで来て、そこから歩いている。
 丘の上にモダンだが、少し古くさい形の建物がある。イラストレーター大村のアトリエだ。二人は同郷で、年は大村の方が上。
 アトリエが古く見えるのは、建って年月が経つためだ。早い時期に売れ、今は大御所だ。
 黒山は勝手にアトリエに入り、大村を捜す。
 大村は、そこだけ和室の部屋で寝ていた。
「ああ、黒山君か」
「休んでいたか」
「休憩だ。徹夜でねえ。少し寝ないと、体が持たん」
「家には帰っているのか」
「ああ、二三日駄目だ」
「まだ、忙しいのかい」
「そうなんだ」
「それはいいことだけど」
「ああ、でも、いつまでも売れっ子だと、この年では辛いよ」
「まだ、人気があるんだから、いいじゃないか。僕なんて滅多に売れない。だから、絵が売れたのはいつだったのか、忘れてしまいそうだよ」
「暇で何より」
「逆だろ」
「いや、休みたいのに休めない。眠いのに眠れない」
「僕なんか、寝ている時間の方が長いよ」
「ああ、君の絵の仕事も眠ったままのようだしな」
「まあ、いいけど、体を大事にしないと」
「分かってるけど、これは不幸だなあ」
「仕事があるんだから、幸せじゃないか」
「まあ、そうだけどね」
「手伝いの人は」
「アシスタントとマネージャーは帰らせた。寝たいからね」
「締め切りは大丈夫なの」
「落とした方がいい」
「一度も落としたことがないんだろ」
「ここらで落として、信用を落とす方がいい。そうすりゃ仕事が減るだろ。もう十分稼いだ。遊んで暮らせる」
「それよりも」
「ああ、いつものあれだろ」
「今月の家賃がどうしても」
「ああ、分かった」
 大村は脱ぎ捨ててあるズボンの後ろポケットから財布を出し、その中から数枚の札を黒山に渡す。
「いつもすまない。きっと返すから」
「ああ」
「これで、一安心だ。この家賃さえ払えば、しばらくは無事だ」
「いいなあ、そのレベル」
「よくないよ」
「幼稚園で絵を教える仕事はどうなった」
「ああ、君の紹介で、行ったやつねえ。助かってるよ」
「まだ、行ってるのかい」
「子供がかわいくてねえ」
「そうかい」
「じゃ、これで失敬する。家主が待ってるから」
「そうなの」
「家主も、この家賃がないと危ないんだ」
「ああ、そうなんだ」
 黒山は雨の坂を下って行く。
 大村は中二階の窓から、それを見ている。
 
   了


 


2014年4月4日

小説 川崎サイト