小説 川崎サイト



会話ボランティア

川崎ゆきお



 上坂老人はもう何カ月も会話していない。
 そこへ年下の鴻池老人が訪ねて来た。
「それはいけませんなあ」
「ああ、そうだな」
 これで上坂老人の無会話記録が止まった。
「ボランティアでね、近所のお年寄りを見て回っているんですよ」
 上坂老人は鴻池老人とはほぼ初対面だ。近所と言ってもかなり離れている。スーパーや散歩へ行くとき、たまに見かける。まんざら知らない人ではない。
 鴻池老人も顔を知っている程度だ。
「で、ご用件は?」
「だから、見回っているんですよ」
「それは御苦労様」
「あたしもこの行為がなければ独りぼっちなんだ。会話もない」
「それはいいアイデアだね」
「会話しないとね、自分が生きていることを忘れてしまいそうでね。存在感希薄ということでしょうかな。そんなことありません?」
「ああ、そうだね。でもこうして話せるのだから、まだ言葉が喋れる。不思議とね」
 鴻池老人は紙を取り出した。
「どうです。会話ボランティアを呼びませんか?」
 月に一度聞き役のボランティアが来てくれるらしい。
「あたしも来てもらっているんですよ。それですっかり元気になりましてね、これはいいことだと思い、積極的に他のお年寄りにも勧めようとボランティアをかってでたのです」
 上坂老人は紙に書かれた印刷文字を読むため老眼鏡を取り出した。
「また、度数を増やさないといけないなあ。どんどん悪くなる。スーパーのあの小さな値札が読めなくてねえ」
「そういう愚痴を聞いてくれるんですよ。お勧めです」
「一時間半で二千円か……高くないですか?」
「あなたねえ、愚痴なんて誰も好き好んで聞いてくれませんよ。正当な価格設定ですよ」
「で、どなたが来るんですか?」
「ボランティアの人ですよ」
「知らない人か」
「そのほうが話しやすいですよ」
 月に一度、上坂老人宅へ短いスカートをはいた女性が来るようになった。
 上坂老人は最初は二千円だったが、最近は毎月一万五千円を払っている。
 
   了
 
 




          2006年12月11日
 

 

 

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