小説 川崎サイト

 

退屈な散歩

川崎ゆきお



「桜の花も散りましたなあ」
「まだ残っていますよ」
「葉桜ですなあ」
「はあ」
「私は毎日この通りを歩いていますので、毎日花見でしたよ。まあ、見ているのは花だけじゃありませんがね」
「桜以外にも、いろいろと花が咲いていますよね」
「そうです。家の横とか、道の脇なんかに、珍しい花が咲いていたりしますよ。これは植えた人がいる。誰だか分かります。手入れしているのを見てますから。あの人は、こんな花が好きなのかと、その人柄まで分かったりしますよ」
「植えた花で、その人が分かるのですか」
「分かりません」
「え」
「どういう人なのかは分かりませんが、こういう花を愛でる人なのだと思うだけです。ただ、愛でているかどうかは分かりません。その花が好きなのかどうかも聞いてみないと分からない。いや、聞いても分からないかもしれない。苗か種をもらったので、育てないといけないと思い、世話をしているだけかもしれませんしね。また、本来は好きではないかもしれない花を植えていることも」
「それはどういうことですか」
「苦手な花というか、あまり好意を持っていない花。まあ、滅多にそんなことはないですが、食わず嫌いのようなものでしょうか。または御縁がなかった花、そういうのを敢えて買ってきて植えているのかもしれませんよね。だから、事情を聞かないと分からない」
「そうですねえ」
「自分が好きでなくても、誰かが好きだった花なのかもしれませんしね」
「いや、そこまで観察していませんでした。それ以前に、何となく家の縁に花が咲いているなあ、程度です」
「それでいいのですよ」
「しかし、散歩の楽しみって、いろいろあるんですねえ。そういうことを想像しながらとか」
「まあ、花は動かないので、目に留めることは少ないですよ。他に見るものがないとき、見ている程度です」
「じゃ、散歩中、主に何を見ているのですか」
「やはり、人です」
「はい」
「ゾンビ歩きの人がいます」
「ゾンビですか」
「走らないゾンビですよ。古典のゾンビです。ゆっくりと歩いておられる。何処がお悪いのかは分からない。しかし、非常にゆっくりだ」
「走るゾンビもいるのですか」
「最近はね。非常にスピーディーなゾンビで、あんなのに見つかれば、走って逃げても駄目だ」
「怖いですねえ」
「当然、フィクションですよ。そんなゾンビが町中うろうろしているわけがない」
「そうですか。ゾンビって、いないのですね」
「物語の世界にいます」
「はい」
「小学校の前を通ると、子供達の声が聞こえてくる。低学年でしょうかねえ。体操の時間で、運動場に出ている。何をしているのかと見ていると、縄跳びをしている。二人で紐を持ち、次々と他の子供が中に入り、飛んでいる。男の子もね。あれは女の子の遊びだと思っていたんだが、違うんだなあ。まあ、町内で縄跳び遊びなどしている子供達の光景も見ないですがね」
「でも、授業でやっているのですね」
「これは何かと思うことがありますなあ。しばらくはそれを考える。または思う。そういえば子供の頃、女の子がやっている縄跳びに参加するのが恥ずかしかった。というよりそれはタブーだった。しかし、私は小さかったので参加出来た。小さすぎるといいんでしょうなあ。大きいと駄目だ」
「はい」
「葉桜もそうだし、通りの花もそうだし、ゾンビ歩きの人もそうですが、それらを見ながら、いろいろと思いめぐらす。これが私の場合の散歩の楽しみなのです」
「それはいいですねえ」
「ただし」
「はい」
「気分のいいときだけだ」
「そうなんですか」
「ゆるりとそんなものを見てられる余裕があるときだ。これが出来るのは平穏なときだけなんじゃよ」
「今日は、どうですか」
「今日は、いろいろと気に病むことがあったが、まあ、仕方がないと思い、それらを見ていたよ。やはり、単純にそういうものだけを見ていたいものだねえ」
「平穏なときは見られるのでしょ」
「ああ、しかし、退屈だよ。見ていてもね」
「はあ」
「しかし」
「はい」
「そういう退屈なものをもっと見ていたい」
 
   了




2014年4月15日

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