小説 川崎サイト

 

日替わりメインメニュー

川崎ゆきお



「何をどうしていいものか、最近分からなくなりましたなあ」
「それは困ったことですねえ」
「まあ、特に何をやるというわけじゃないので、困りはしないのですが、やはりメインが欲しいですなあ」
「メインですか」
「階層の一番上です」
「ルートディレクトリーですね」
「ルート、ああ、国道一号線のようなものですよ」
「それが、メイン通りなのですね」
「そうそう、しかし、どうしたことか、その一号線がなくなりましてねえ。二号線でも三号線でもいいんですがね」
「メインというのは、やるべき目的のようなものですか」
「ああ、そうです。やっていることは細かいことでも、それらは本流に繋がっているのですよ。町内規模であっても、世界規模になる。それほど大きな流れの一環内にいるわけです。いや、いたのかなあ。以前は」
「今は、違うと」
「それが何か分解されたようになりましてねえ。国道に出ないのです」
「確かに大昔はありましたねえ。国のためとか、一族のためとか」
「それに近いです。そういう縁ではないですが、共有するものがありました」
「共通の価値観ですね」
「そうです。だから、それさえやっていれば、誉められたり、尊敬されたりもしたものです。だからやる気も出来た。小さなことでもね。そこと繋がっているんだから、いつかは認められるとね」
「最近は、それがなくなったと」
「最初からなかったのかもしれませんなあ。錯覚だったのか。まあ、そういう目的のようなものが消えましたなあ。だから、国道に出ても仕方がないし、第一、もうないので、町内の道をうろうろしているような次第です。これは国道に繋がってこそ意味がある。しかし、交通機関はそれだけじゃない。それに私、車の運転をやめましてねえ。もう国道や高速道路に出ることもなくなりました」
「はい」
「それに近所に新幹線が走ってましてなあ。飛行場も近い。もうこれだけでもばらけたのでしょうなあ」
「結局、どういうことでしょうか」
「メインのようなものがなくなったんじゃないかと、思うのです。それでやるネタがなくなったので、退屈で退屈で」
「じゃ、ご自身のことをやられればいいじゃないですか」
「自分の為ねえ。これが曲者でねえ。何が自分の為なのかが分からない。人の為なら、勝手な思惑を抱けるのですが、自分自身になると、何が大切で、何が大事で、何をやるべきかが曖昧になる。まずは、ここから見ないといけません」
「はい」
「そうなると、若い頃やっていた自分探しの旅になる。これは避けたい。何もなかったことが分かるだけなのでね。旅しない方がいい」
「では、自分で適当にメインをこしらえればどうですか」
「やりましたとも」
「はいはい」
「しかしねえ、コロコロと変わるのですよ。何せ自分で決めるわけですからね、簡単に変えられる。で、最近は人に言わないようにしています。私は、こうするって宣言をね」
「それで、どうなるのですか」
「メインですよ、メイン」
「はい、そのメインはどうなるのです」
「全部横並びにし、カオス状態にする」
「はあ、つまり、ルートディレクトリに、すべてのファイルを裸のままぶち込むようなものですね」
「はい、それで、適当につまみ食いするような感じで、メインも日替わりなのです」
「日替わりメインメニューですね」
「そこで、戦わせるのですよ。生き残ったもの勝ちです」
「長く続いたものが勝ちと」
「はい、勝ちは価値に通じる」
「はいはい、通してください」
「勝ち抜き戦でしてね。これは結構いけますよ」
「ゲームの理論ですね」
「あ、そうなんだ」
「よく分かりませんが、ゲーム感覚というやつでしょ。解き放して、自然な振る舞いに任せる」
「そんな難しい話じゃないのですよ。メインではなかったものが、メインに躍り出るのが面白くてねえ」
「はい、楽しめる間は、楽しんでください」
「はい」
 
   了
 




2014年4月16日

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