小説 川崎サイト

 

悟るほどに年を取り

川崎ゆきお



「今日はまた今日で、一日が始まる」
「はい」
「明日のことは知れぬよ」
「そういうことを、毎日おっしゃっているような気がしますが」
「だからといって、明日が来るとは限らぬ」
「要するに一日一生の話ですね」
「言葉の上ではそうだが、これはなかなか難しい。条件にもよるからのう」
「たとえば?」
「今日、非常にいいことがあり、また将来も、いい状態が続く感じでは一日一生などは言いにくい」
「にくですか」
「今日だけで終わりとうないからな。明日も、この調子で迎えたい」
「そうですねえ」
「このいい状態でも、一日一生と言い、明日の我が身は知れぬなどとは考えとうない。しかし、そう調子のいい日が続くほど人生は退屈させてはくれぬ。夜中急に腹が痛みだし、昨日とは一変した生活になるやもしれんしな。うまく行っているときもやがて黄昏が来る。それに備えて明日は分からぬと、気持ちの準備ばかりしておるのも難儀じゃ」
「その逆はどうですか」
「そのときは用いやすいのう。嫌なことは一日だけ。今日限りにて、明日はまた別。しかし、実際には嫌な一日がまた始まるのだがな。しかし、これも一日だけじゃと思うことだ。明日ではないにしろ、よくなることもあるからのう。または、嫌な状態に慣れて、もうどうも思わんかもしれん。それでも明日はいいことがあるやもしれんと思えればよい」
「僕は、一日一生は悪い状態のときに使うフレーズだと思っていました」
「都合のいいときに使えばよろしい」
「一日の中で出来ることは僅かなもの。この僅かさが、その人の一生だとすれば、少し物足りんがな」
「足りな過ぎですよ」
「しかし、人の一生とは、そんなものかもしれんぞ」
「いろいろあったはずですよ。人生規模で見れば」
「振り返れば夢のようなものじゃ」
「ああ、それは先人もよく言ってますよね」
「人が見れば大変な一生だが、本人からすれば、それほどでもないのかもしれん」
「そんな」
「終わったことなのでな」
「はい」
「人生分。ずっと持ち歩けんじゃろ」
「でも、過去の栄光とかをそのまま引きずっている気位の高い人もいますよ」
「そういうのは徐々にすり減り、ちびてくるものじゃ。誇りに思うのはいいが、不便になる」
「師匠にもありましたか? 過去の栄光が」
「君が知らないのだから、なかったのじゃろう」
「あ、失礼しました」
「しかし、どんなすごい栄光があってもな」
「はい」
「振り返ると、たったそれだけのことかと、思うことがある。もっとすごいことが出来たのに、とな。だから、その栄光に対しても、不満なんじゃ」
「あ、はい」
「よく分からんか?」
「はい、よく分かりません」
「その程度のことだったのかと、思うものよ」
「でも、師匠は栄光がなかったのでしょ。どうしてその心理が分かるのですか」
「なーに、それはわしのひがみじゃ」
「あ、いじけておられるのですね」
「まあな」
「早く悟ってください。師匠」
「ああ、悟るほどに年を取りじゃ」
「川柳ですね」
「そう取るか」
「はい」
 
   了
 

 


2014年4月23日

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