小説 川崎サイト

 

聞き流し

川崎ゆきお



「昨日少し違ったことがあると、今日は少し違うんだ」
「何かありましたか」
「大したことじゃない。自販機でコーヒーを買った程度かな。これはよくあることじゃない」
「しかし、普通によくあることじゃないでしょうか」
「え、どういうことかね」
「竹中さんはコーヒーを殆ど飲まない人だった場合、これはいつもと違いますよね」
「そうだね。しかし私はコーヒーはよく飲む。喫茶店に入ってもコーヒーばかりだ。家でも一リットル入りのが冷蔵庫に入っている」
「じゃ、自販機でコーヒーを買うのは特に変わったことじゃないと思いますが」
「散歩中、喉が渇いてねえ。ついつい買ってしまった。しかしなぜコーヒーなんだろうねえ。喉の渇きには、もっと他の清涼飲料水のほうがいいかもしれない。ソーダもあったよ。スポーツドリンクもね。しかし、なぜかコーヒーなんだ」
「コーヒーが好きだからでしょ」
「好きかどうかは分からんが、自販機の前で選択を迫られたとき、安全なコーヒーを選んでしまう。炭酸飲料でもいいだよ。しかし、得体が知れない。飲み慣れていないからね」
「それで、昨日は自販機でコーヒーを買われ、飲まれたのですね」
「そうだよ」
「それが、違ったことだったのですか。いつもとは」
「そうだ。だから、昨日、少し違ったことがあると、今日も少し違うんだ」
「大きな違いではないと思いますが」
「炭酸飲料を選んだとすれば、かなりの違いなんだけどね。しかし、人には範囲がある。その範囲内でしか動かん。そして、その範囲内での違いが、徐々に影響してくる」
「何でもないことなのに」
「範囲内だからね。特に冒険じゃない」
「そうですねえ。たまに自販機で缶コーヒーを買うのは、冒険じゃないですよね」
「コーヒーがあるのに、炭酸飲料を選んだとすれば、冒険だよ」
「新境地とまでは言えませんが、ちょっと変わったことをした感じですか」
「そういうことは、あまりしない。それに、それをすれば、冒険だと分かる」
「それで、どうして、今日は違うのですか。昨日と」
「それなんだ」
「はい」
「中身が問題じゃないんだ。自販機で買ったことが問題なんだ」
「はあ」
「喉が渇いていて、自販機があったので、買っただけなんでしょ」
「単純に言えばそうだが」
「はい」
「今まで散歩中、喉が渇いていても、自販機では買わなかった。ところが買ったんだ。これが問題なんだ」
「じゃ、今まで我慢して」
「多少の喉の渇きはね。我慢というほどのことじゃない。ただ、私にはないパターンなんだ」
「あ、はい」
「しかし、極めてすんなりと、自販機を探し、コーヒーを買って飲んだ。何のためらいもなくね。ごく自然にね」
「普通ですよ。竹中さん」
「これなんだ。こういう変化が実は効くんだよ」
「はあ?」
「だから、今日の私は、少し違っているんだ」
「よく分かりませんが、竹中さん」
「私にもよく分からん。だから、こういうすんなりさ加減が怖いんだよ」
「それは、どうかと」
「まあ、いい。聞き流せば」
「はい」
「実はそこに含まれているものを、気付くことも大事だ」
「はいはい」
「事実、今日の私は少しだけ違う」
「あ、はい」
 
   了


 


2014年4月28日

小説 川崎サイト