小説 川崎サイト

 

古い煙草屋の怪

川崎ゆきお



「ここから見えるのですかな」妖怪博士が煙草屋の主人に聞く。
「はい」
 たばこと大きな看板が店の二階の窓の下に掲げられているが、雑貨屋でもあり、酒屋でもある。いずれも廃業しているが、その店先には煙草や清涼飲料水、酒類の自販機が並んでいる。そのため、入り口は封鎖された感じになったが、店に外から入る用事はなくなったので、不便ではない。昔ながらのガラス戸が何枚か連なっていたのだが、いまはシャッターに置きかわっている。開ける必要のないシャッターで、自販機の背景と化している。
「煙草を買いに来ると?」妖怪博士が話を聞きだしている。
「はい、夜中です」
「夜中でも自販機があるので、買いに来る人もいるでしょ」
「その人が問題なので、あなたを呼びました」
「つまり、煙草を買いに来る妖怪ですかな」
「二階の窓から通りが見えます。真正面は狭い路地でして、奥まで見えます。つまり、その路地から来た人は、真正面にこの店を見ることになります。かなり路地の奥からも、この店は見えます」
「それで、どんな人が買いに来られるのですかな」
「長髪で、上下とも青いジーンズで下駄履きです。たまにギターを抱えています」
「鳴らすのですか」
「何度か聞きました」
「どんなメロディーでしたかな」
「フォークです」
「ほー、フォークソング」
「吉田拓郎の歌だったと思います」
「つまり、そういうフォークソングが流行っていた頃の人が、そのままの姿で、煙草を買いに来ると」
「はい、その通り」
「一人ですか」
「いえ、たまにロンドンブーツを履いて、ピカピカ光る鎖なんかを回しながら、来る人も。その人も長髪です」
「演歌歌手は」
「畠山みどりのような人も」
「袴を履いた女浪曲師のような姿ですかな」
「そうです」
「確かに、この時代、そんな姿で煙草を買いに来るのは、如何なものかと思われますなあ」
「妖怪でしょ」
「だから、私を呼びだしたのですね」
「そうです。他に思い当たる筋がなかったもので」
「私は筋なのですな」
「そうです。妖怪博士は、その筋の人なのです」
「それはよろしいが、私にどうして欲しいのですかな。それらの妖怪を退治して欲しいのですか」
「いや、消えてなくなるのはもったいない」
「惜しいと」
「はい。それで、これは私にしか見えないらしく、家族の者に見せても駄目だったのです」
「じゃ、私でも駄目でしょう」
「もうすぐ、その時間です。今宵も買いに来ると思われます」
 妖怪博士は二階の窓から、表通りや、路地の奥を見る。
「ほら、聞こえてきました。あれはムッシュかまやすです。腰に手ぬぐいをぶら下げ、下駄履きです。あの頃のように旅に出ようとかどうのと、歌っているでしょ」
「グループサウンドですね」
「ブルーシャトーの笛の音も聞こえてきますよ」
「フォークじゃなかったのですかな」
「最近増えました」
「あ、はい」
「ほら、下駄を鳴らして奴が来るです。見えますか、下の自販機に」
 妖怪博士は覗き込むが、何も見えない。猫が一匹だけ、さーと走り抜けた。
「はい、見ましたとも」
「路地の奥にある下宿屋に住んでいる人は、ハイライトを買いに来ます。お世話になってます。お世話になってますよと言いながらね」
「奥に下宿屋があるのですか」
「ありません」
「了解しました」
「まだ色々と出ますので、見に来てくださいね」
「はい、また機会があれば」
 妖怪博士が煙草屋を出たのは深夜だった。もう終電も走っていない。大通りに出ればタクシーでも走っているだろう。それを捕まえるしかない。そうなると、謝礼が飛んでしまう。
 後ろを振り返ると、煙草屋が見える。木造二階建て本瓦葺きの建物そのものが化け物ではないかと思えるほどだ。なぜなら、その通りに、もうそんな家は残っていないからだ。
 
   了


 

 


2014年4月30日

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