小説 川崎サイト

 

土手道のある風景

川崎ゆきお



 木下は引っ越した友人宅を訪ねた。遠くはなく、以前とそれほど離れていない。引っ越しの理由は引っ越し費用が出来たためだ。
 その友人田所は、それまで住んでいたアパートに二年ほどいたことになる。半年ほどで、引っ越したいと言っていた。その念願が叶ったのだろう。
 田所の引っ越し先は、以前より奥まったところにあり、山が近くに見えるようになった。山へ向かうほどに周囲も緑が多くなる。まだ田畑が残っており、そこを貫くように川が流れている。川幅は狭く、流れも浅い。しかし、土手は結構盛り上がっている。洪水を警戒してのことだろう。この土手もかなり前からのものだと思われる。土手道は両側にあり、散歩コースにはふさわしい。狭いので、車は入ってこれない。
「ここが、いいのかい」
「ああ、これでないと駄目なんだ」
 アパート暮らしから、マンション暮らしに出世した感じだが、交通の便が悪いので、家賃は似たようなものらしい。それ以前に、適当な物件がここしかなかったようだ。
「見ただろ」
「ああ、見たよ」
 川のことだ。
「やはり、川があり、土手がないと駄目なんだ。その近くに住み、毎日見ていないとね。見るだけじゃないよ。遠回りになるけど、その土手を通ってバス停まで行くんだ。帰りもそうだよ。土手道を通って帰る。やっとその念願が叶ったよ」
「駅まで自転車で行ったら」
「ああ、そのつもりだけど、やはり歩きがいい。あの土手の場合ね。狭いから、落っこちそうになる。自転車でよそ見しながら走っているとね」
 木下は土手について聞いてみた。田所が土手が好きなことは知っているが、理由までは分からない。
「通ってるからさ」
「ほう」
「流れがね。水だけじゃないよ。空気もだ。流れているんだ」
「風水かい」
「良いことを言うねえ木下君。まさに風と水なんだ」
「なるほど」
「二年ほど住んでたあのアパートね、息が詰まりそうだったよ。川がないからねえ。近くに」
「あまり変わらないと思うけど」
「空気の流れが違うんだ。実際には空気じゃないけどね。通り道なんだ」
「何の」
「いろいろなものが流れていく場所なんだ。月日が流れるようにね」
「ほう」
「嫌なこと、嫌な関係は水に流す。昔のことも水に流す。その水なんだよ」
「実際に水の中に?」
「そうじゃない。その近くだと、流れやすいんだ」
「引っ越しの理由はそれだけ?」
「物件よりも、周囲だよ。家賃じゃない。良い川が近くにあるかどうかなんだ」
「それで、その川流しの方法なんだけど、どうするの」
「まあ、毎日土手を歩きながら、ブツクサ言うだけだよ」
「ほう」
「聞こえないからねえ。声を少し出した程度では」
「ブツクサかい」
「そう、ブツクサ」
「小豆洗いって、妖怪知ってる?」
「ああ」
「あちらは、ゴシゴシだったっけ」
「小豆を洗う音だろ」
「ああいう小川に出そうだよ」と、木下が言う。
「そうそう。出てもおかしくない場所だ」
「だから、小豆洗いの正体は、ブツクサかもしれないよ」
「あ、それは珍説」
「誰かが、ぼやいているんだ。声を出してね。昔の人は、その声を小豆を洗う音だと勘違いしたのかもしれない」
「そういえば、文句を口の中で、ブツブツ言う状態をご飯を炊くって、言うもんね」
「ああ、ブツブツブクブク言ってるねえ、米を炊いているとき」
「まあ、それはいいけど、気分がいい。これで、すっきりする」
「効果はそれだけかい」
「十分だよ。嫌なことが流れてくれるだけで」
 木下は戻り道、その川の土手を歩いてみた。確かに風のあたりが違う。そして、ブツクサと、呟いてみた。
 すると、口から何かが抜けたような気になった。
 そんな錯覚も悪くない。と、木下は思った。
 
   了
 

 

 


2014年5月1日

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