小説 川崎サイト

 

ゲルマニウム人

川崎ゆきお



 訪問好きの木下が万屋錦之助とあだ名されている男の家へ行った。
 名前の通り、万屋、萬屋をやっているわけではない。今で言えばコンビニだ。
 何でも屋で、何でもする男だが、一つとしてものになった試しはない。
 百万遍という土地は学生が多い。京大があるためだろう。昔のような下宿屋は確認しにくいが、靴を脱いで上がらないといけないようなアパートはまだ残っている。
 錦之助は居残り組で、卒業すれば、国へ帰ったり、引っ越す。
 錦之助は、その居残り組の残党だ。働かないで、まだ学生気分でいる。しかし、もう結構な年だ。それまでどうやって生活をしていたのかは謎だが、自営をしたり、バイトへ行ったり、誰かの手伝いなどをやっていたらしい。そのあたりの経歴は友人である木下にもあまり明かしていない。
「京都は久しぶりかね、木下君」
「万屋さんもお元気そうで」
「何?」
「あ、観光で来たもので、寄ったまでです」
 二人はSNSで、それなりの消息は分かっているのだが、リアルのことはさすがにネットでは語らないため、今どんな状態なのかは知らない。
 万屋錦之助のネットでの友人一覧を見ると、錚々たる面々が並んでいる。これを腑分けすれば彼だけが何の肩書きもない凡人に見える。アヒルの集団に白鳥が混ざっているのではなく、白鳥の集団にアヒルが混ざっているのだ。
 木下が興味を持ったのは、そこだ。それで、チャットなどでたまに話すうちに親しくなった。
 どうして白鳥の集団にいるのかを聞いてみると、学生仲間だったようだ。
 当時、万屋錦之助はそこでの若大将だった。
「みんな出世したきにね」
 西日本の方言をそのまま使っている。
「でも京大出でも駄目な人はいくらでもいるでしょ」
「ああ、僕がその代表だわ」
「学生運動、やってませんでした?」
「そこまで年寄りじゃないきに」
「そうですか」
「今、ゲルマニウムラジオを組み立てているんだが、いるか」
「ああ」
「これは売れますぞ」
「ああ、はい」
「少し大きくなったので、小さくするよう工夫しているところなんね。しかしねえ」
「あ、はい」
「これ、以前もやっていたのを忘れていたんだわ。まあ玩具だ。また同じことをやっている。いろいろやりすぎて忘れてしまったんよ。鉱石ラジオはまだ作ったことがないから、そちらでもよかったんだがけど」
「はい」
「だから、今回は組立キットとして売り出そうと思っちょる」
「あああ、はいはい。万屋さんは工学部だったのですか」
「いや、文学部で哲学だ」
「ああ、西田幾太郎。哲学の道ですね」
「銀閣寺はいいねえ。金閣寺より」
「あ、はい」
「あの近くに子分が大勢いたんだけどなあ」
「アパートが多い場所ですね」
「そうだ。生き残ったのは、僕だけかな」
「あ、はい」
「さて、誰を紹介して欲しいの。それで来たんでしょ」
「あ、いえ、違います」
「今のうちだよ。僕の友人も、そろそろ現役から退く時期だからね」
「いや、純粋に万屋さんに会いたくて」
「そうなの。何も土産、なくてもよかね?」
「よかですたい」
「何処の言葉だ」
「あ、どうも」
「まあ、このゲルマニウムラジオを持って帰りなさい」
「あ、はい」
「もう飽きた。次へ進む。キットとして、ラジオにもなれば無線機にもなるやつを作る。十以上の機能を持たせてね」
「基盤を買えば」
「駄目だよ。あれじゃ学べない」
「そうなんですか。でもお友達にロボットの研究家がいましたが」
「バカだよ、あいつは。鉄腕アトムを作ろうとしているんだから」
「あ、はい」
「その前に人工知能を先にやるべきだが、人はデーターだけで動かんきに」
「そのあたりが哲学の片鱗ですか」
「そんなこと誰でも分かってることじゃないか」
「ああ、はい」
 木下はかなわないと思い、ゲルマニウムラジオをポケットに突っ込み、靴下で滑りそうになりながら、アパートの廊下や階段を滑り抜けた。
 まだ、あんな化け物がいるのかと思うと、楽しかったようだ。
 
   了
 
 


2014年5月20日

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