小説 川崎サイト

 

本陣のあった道

川崎ゆきお



 メイン通りではなく、横の小道や枝道を行く人がいる。中にはそこで長く止まっている人も。
 メイン通りは新しく出来た新道で、町と町を出来る限り直線で結んでいるため、ここを通るのが一番早い。
 だが、メイン通りが厳しく思える人は脇道や裏道に入り込む。倍以上時間がかかるもしれない。メイン通りが渋滞していれば別だが。
 高岡は最初から裏道ばかりを歩いて来たように思っている。裏の稼業をやってきたわけではない。
 表通りが眩しすぎるのだ。それに多くの人と行き合うのも嫌がる。見られたくない事情は特にないが。
 その裏道を行くと、昔はここが本街道だったりする。それが廃れ、今は生活道路のようになっているが、瓦葺きに土塀の家などが所々残っている。お寺ではないかと近付くと、普通の家だ。
 さらに古い家があり、これは屋敷と言ってもいい。開くことのない門がある。立派な歌舞伎門だが、開ける機会がないのだろう。母屋も立派だ。さすがにこれは保存を促されているようで、パネルがかかっている。文化財としての価値ありと。
 しかし、そんなものは今の時代、殆ど役に立たない。表通りのファストフード店の方が役立つのだ。
 陣屋、つまり参勤交代などで大名が泊まる本陣として使われていたと書かれている。これも知ったからといって、すぐには役立たない。
 その本陣、実際には庄屋の屋敷らしいが、それにちなんだのかどうかは分からないが、メイン通りのホテル街に本陣のネオン文字があった。
 時代劇の世界と、今の時代とは大きなズレがある。それを学ぶ程度のものだが、今の時代は、僅かなズレが大きく見える。
 高岡は、このズレや差を楽しむだけの余裕はないが、百年もすれば、似たようなものになるような気もする。
 数年の違い、数ミリの違い、一レベルの違い、これが今の高岡を苦しめている。
 しかし、大通りの真ん中は歩けないが、端なら歩ける。しかし、それでは情けない。それに比べ、裏通りや、ひなびた通りなら、ど真ん中を歩ける。
 だが年々道幅の狭い通りに高岡は移動しているよう思えた。
 そして、今は、これ上狭い道はないと思えるような路地を伝って、目的地へ向かっている。大通りの数倍時間がかかる。
 しかし、洗濯物や塀からはみ出した庭木の下を通っていると、それなりに楽しめるようだ。
 
   了
 



2014年5月21日

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